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司馬師、司馬昭、司馬炎、鍾会、諸葛誕、カ充、楽チン。

liu********さん

2012/2/1823:51:56

司馬師、司馬昭、司馬炎、鍾会、諸葛誕、カ充、楽チン。

彼らを見てまず出てくること。三国志後半をつまらなくした張本人たち。くだらない人材であるということ。
まあ曹操はこれほどつまらない人材を抱えていたなと思います。
彼はあまり見向きもしないかと思いますけど。
どうでしょうかね。

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wat********さん

2012/2/2000:11:21

正史「三国志」はともかく、物語の「三国志演義」で考えるならば、これらの人々は主役不在の後日譚に出てくるようにイメージを持たれてもしようがないとは思います。
やはり「三国志演義」の主役は、前半は曹操、劉備、後半は諸葛亮です。彼らとそれを取り巻く人々の活躍が三国志演義の醍醐味であって、司馬一族は淡々と自分の勢力拡大とドライに魏皇室を追いこんでいくのが非情さを感じさせますし、これにクーデターを起こす鍾会も結局は、自分のプライドを貫いただけのイメージ。賈充はどこまでも司馬一族についていく、有能でも保身第一の人。
諸葛誕もその能力は認められていたものの、はじめは司馬一族とともに毌・文の反乱を鎮圧する側にいながら、追い込まれると自分が反乱を起こしたというのはいただけません。

歴史としての重みは同じ、むしろ他の回答者さんが言うように、分裂から再統一に向かうという流れは評価されるべきものなのかも知れませんが、小説家は「諸葛亮の死」とともに物語を閉じてしまうのも分かるような気がします。

ただ楽綝は諸葛誕とのからみ出てくるよりも、名やられ役としての印象が強いですね!!
また、姜維と鄧艾、陸抗と羊祜のライバル関係、蜀漢滅亡時の蜀将の活躍、呉滅亡時の張悌の意地など、印象に残る物語は三国志演義の最後までいますので、いろんな角度から楽しんでいけばいいのではないかなと思います。

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編集あり2012/2/2414:03:16

鐘会と司馬炎は曹操と生きた時代を一瞬たりとも共有していないでしょうに、よくもまあ曹操が「抱えていた」などと仰いますねw

賈充も曹操が死んだときにはたったの三歳、しかも彼の父の賈逵は曹操から寵愛された重臣です。
重臣の子供を見てその人物の行く末を判定し、後世の人々から見て三国時代を面白くする為にそれを処断するなどということはいくら曹操でもできないでしょう。

貴方の挙げている人物はいずれも二世武将・三世武将ですが、当時の価値観としては先祖の功績によってその子孫をある程度遇するのは当然のことだったと思います。
曹操は中国三国時代一の大人物ですが、彼をしても尚、前後400年の歴史の中で漢民族の文化の礎を築いた漢王室を自らの代で滅ぼすことは出来ませんでした。
乱世の姧姦雄たる彼も既存概念を全て破壊しきることはできなかった。
貴方の言う「つまらない」二世・三世武将が魏の中枢に残ってしまったのも、それが曹操という人物の限界であったのだ、とでも考えれば良いのでは?


貴方に言っておきたいのですが、歴史というのは見世物小屋ではないのです。
三国時代後半の重要人物、例えば、司馬一族や、姜維や、陸抗も、後世を生きる貴方から見てその時代を面白く見せるエンターテイマーとして生きていたわけではない。
今を生きる我々に大切なのは、曹操のような大成功者から、劉禅のように現代になっても笑い者にされる人物まで含めて、彼らの生き様から何を学び取り、そこから何を実践するか考えることです。

huj********さん

2012/2/1901:48:16

bap960428さんと同じように私もそう思いませんね
まず、つまらないと無能とでは意味がまったく違います

それにくだらない人物だとしたら蜀や呉、まず蜀の劉禅や姜維など十分当てはまる人物だと思うのですがね

2012/2/1901:18:00

どうでしょうかね、と言われると、そうは思いません、となります。

まず、三国志、という表現をするから違和感が生まれるのではないですか?
『三国志演義』を指しているのですか? それとも、実際の歴史でおっしゃっているのですか?

曹操は三国時代の開始以前に亡くなっている、ととらえる方も多いと思いますが、そのあたりを定義していただきたいです。
たとえば、曹丕の禅譲から西晋の統一までを三国時代とするのであれば、おあげになった人物の多くは三国時代の終焉までに亡くなっているので、三国時代ド真ん中だと思うのですが。


ここから私の持論になります。
まず、確かに漢という統一国家から分裂の時代になります。分裂時代ということは、覇を競う人物たちが大勢出て、それを補佐する人物や、その間を渡り歩く人物がいて、さまざまに人物のバリエーションを楽しめる面はあるでしょう。しかし、上記のように曹丕の禅譲~西晋の統一までの時代というのは、分裂に向かう時代ではなく、いったん収束にむかう時期です。3つの国家の建国と創業の時期ではなく、国家の持続や統一国家の再生に向かう時期です。当然、人材のありようも、彼らに求められる仕事も、創業と守世では全く異なりますので、建国準備期間の人物たちと比べるのは次元が違うと思います。


曹操がもし守世の時代に生まれていれば、ちょっと異質な、しかしガチガチのキャリア官僚として生涯を送った可能性もあるわけす。そんな評価をされていたはずです。

司馬家の3人は、国家が収束に向かう時代に権力闘争に勝ち残った人物であり、人格はともかく、十分魅力的な人物たちだと思います。まぁ、そもそも、『晋書』が『喪神記』などから記述を引っ張ってきているぶっとんだ史書なので、面白いのは当然なんですけどね・・・。

鐘会は、国家を巻き込む規模ではた迷惑な末っ子気質の人物ですが、そもそも優秀じゃなければあそこまでの活躍はできないわけです。 諸葛誕も賛否両論あるようですが、十分優秀でしょう。賈充なんて妖怪じみていると思いますよ。
ただ、楽チンって、楽進の息子ですか? ???そもそも記録がほとんどない人物を同列に論じるのが変じゃないですか?
せめて夏侯玄とか、杜預とか、司馬孚とか、司馬望とか、衛瓘とか、張華とか、陳騫とかと比べましょうよ。・・・そういえば、魏→晋の人物ばかりですね。張翼とか、羅憲とか、陸抗とか、朱績とかはどうお考えですか?

まぁ、「三国志」のどこを面白いと感じ、どこに不満を持つかは人それぞれだと思うので、そこにどうこういうつもりはありませんが、つまらない、と切り捨てずに、『三国志』とあわせて『後漢書』と『晋書』も読んでみて頂けたらと思います。名を残している人々の性質などが、時期によってちがうことがお分かりになると思います。

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