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過日、「阿弥陀経の構造」について、幾人かのお手を煩わせ、いろいろ教えられた者...

k_y********さん

2012/5/413:44:29

過日、「阿弥陀経の構造」について、幾人かのお手を煩わせ、いろいろ教えられた者です。

◎1:一応自分の疑問は解け、ほっとしていますが、この優れたお経の作りは次のように理解しています。念のため確認いたします

「如是我聞」での我が聞いた是は「一時佛在、…」一切でありますから、「釈尊が舎利弗に語った内容を(その場にいて)聞いた者から、我は聞いた」ことになります。釈尊が実際に舎利弗に語っている内容は、「爾時佛告」以下「舎利弗…甚難」となります。しかも、この
如是我聞の我が阿難陀とは言えないとも教えられました。つまり誰であっても差し支えない。むしろ読経者一人一人のものとしてもいいだろうということです。

こう解釈していてよろしいですか?

◎2:佛様に「追善供養申し上げます」とお唱えするとき、どんな心持ちでそれを云えばいいか教えていただけませんか?ただ、称えればいいものではないはずですね。意味と称える際の心的態度です。

補足既に、詳述いただいておりますから、詳しいご回答には及びません。ただ、小生の言が勘違いでもしているようでしたなら、そうご指摘いただければありがたいのです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

ino********さん

2012/5/610:12:48

1はそれでよいと思います。
2の供養とは佛や菩薩等に香華燈明等の供物を捧げることを意味します。追善供養とは死者のために行うものです。
阿弥陀佛に礼拝する時は余計なことを考えず念佛することでしょう。

質問した人からのコメント

2012/5/6 10:35:55

成功 明快にご回答いただき、ありがとうございました。

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