ここから本文です

もし長篠の戦いの時、勝頼が重臣の意見を聞き入れ撤退していたらその後の織田家、...

u27d927bcf937さん

2012/5/1116:26:47

もし長篠の戦いの時、勝頼が重臣の意見を聞き入れ撤退していたらその後の織田家、武田家はどうなっていたと思いますか? 皆様の熱い議論をお願いします!因みに私は経済力で劣る武田家は上杉家と同盟を結ばない限り勝つ見込みはないかなと思います。

補足皆様の熱い私論に大感激です!皆様はむしろ戦略家ですね!歴史に「もしも」は御法度ですが「もしも」が楽しいのも事実です。ベストアンサーは敢えて決めません。これからも「もしも」の質問を致しますが是非、お願いします!

閲覧数:
3,573
回答数:
6
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

taraspa88さん

2012/5/1309:42:50

「長篠敗戦は致命傷ではなかった」と考えます。
長篠後も武田家は様々な方面で攻勢を維持し、特に北条との決裂後、滅亡直前には上野を獲得して、武田家史上最大領土を得ています。
長篠で重臣が討たれた後も、その一族の取り立てなどで軍制の立て直しに成功していますし、兵力的にもその後の軍事活動に支障を生じていないことから、通説ほどの損害は受けなかったと考えます。
つまり、戦わずに逃げ出してもそれほどメリットはありません。

無傷の織田+徳川の大軍に背中を向けて逃げ出せば、追撃により史実以上の損害を受ける可能性もあります。
三方原を引き合いに、追撃してくれば反撃で大損害を与えられる、という主張を見ますが、武田は兵力差を覆して勝利したケースが極端に少ない家です。大軍に押されれば、そううまくはいかないでしょう。

武田にとっては勢力拡大を続ける織田+徳川と決戦を行い、大打撃を与えることが長篠の目的です。
撤退するということは、それを諦め、裏切った奥平氏を制裁する能力が武田にはない、ということを認めることになります。
武田の威信がゆらぎ、武田の滅亡が早まるのではないでしょうか。

この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/5件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

プロフィール画像

カテゴリマスター

2012/5/1118:49:26

おそらく、織田家の運命はたいしてかわりません。長篠で織田が勝利したとはいっても武田側の領地をけずったわけではなく、徳川領に侵攻した武田軍を撃退しただけですから。
むしろ徳川家にとって、この後も武田家と戦い続けることになるので、不利は徳川家のほうが大きかったでしょう。

長篠で武田の名だたる重臣たちが死んでしまいましたから、それがなかったなら織田の武田攻略に多少てこずり、本能寺の変のころはまだ武田存命、というシナリオになるかと。
となれば、徳川家は武田の旧領を得ることができず、秀吉の天下がより強固なものになったかも。しかし、織田家の混乱に乗じて武田が逆襲する可能性もありますな。そうなると徳川家が大ピンチですし、徳川に代わって武田が台頭するかも。
その後は秀吉の外交力次第、でしょうかね。勝頼の外交力はあんまなさそうなんで、秀吉にとっては相手にしやすいかもしれんですが、家康と違って、柴田と結ぶとか、いろいろありえるので、これ以上は想像を超えます。

firmaiueoさん

2012/5/1118:26:07

織田家・・・少しずつ領土を広げていくと思う。
武田家・・・徳川の領地を分断していくと思う。

ncfh327さん

2012/5/1117:30:21

具体的な仮想についてはすでに語られていますので、違った切り口で語ってみたいです。
この問題は、大きくいえば統帥権の問題かと思います。
勝頼が重臣の意見を取り入れる、というケース設定は、裏返せば勝頼が戦闘指導の能力がない、ということになります。
これに類したものとして、関ヶ原の合戦での石田三成が大垣城で軍議を開いたとき、島津なんとかが、即刻尾張を攻めよ、
と言ったのを聞かなかったとか、家康軍が関ヶ原へ向かう側面をつけ、と提案されても、後世に恥となることはやらない、
といって受け付けなかったので、歴戦の武将が呆れて信頼を失った、という風のことを読んだ気がします。
また、後醍醐天皇が楠正成の提案を退けたために楠正成が苦戦して、最後は戦死したとか、
真田幸村が大阪城で、家康を急襲して討つ、と提案したのを淀の方や側近が一蹴して、結果、滅亡にいたった、
という話を聞いた気がします。
明治以後の日本軍は、後醍醐天皇の故事をもとに、もちはもちや、戦争は軍人にまかせよ、
ということで統帥権の独立、天皇直結、という体制を作りました。
その結果、天皇の意向である、という御旗のもと、満州事変、盧溝橋事件、シナ事変の拡大、と、
軍部が突っ走って行きました。
というわけで、勝頼が戦闘指揮に自信をなくした、ということになると、武田軍の指揮体制をどうするかということが
問題になりますが、長篠の戦で急に勝頼が家臣のいうことに耳を傾ける、というのは仮想であると言ってしまえばそれまでですが、勝頼が継承してからのトップとしての指揮には長期的見通し、策謀、などなく子供の思い付き的に兵を動かしていた、という風だったような記事を見た気がします。信玄が、自分亡き後のことを真面目に考えたなら、後継体制をはっきりさせ、勝頼は名目のトップであるが、執行体制はこのようにせよ、と明示すべきであったと思います。

gndxg925さん

2012/5/1116:52:24

信長は武田を恐れている節が有り、実際には武田との緩衝地帯である徳川に守らせて、近畿や中国・四国を優先させるのでは?謙信存命なら、強大になった信長包囲網の一角を担うのでは?北条も武田が敗れれば織田と国境が接する事となり、緩衝地帯の武田と上杉と3国同盟も可能では?勝頼は積極的に徳川を攻め、織田・徳川との決戦を望んでます。攻めるなら上杉と同盟して、織田の兵力を削いだ後のが無難でしょう。しかし勝頼に信玄なみの戦略眼と外交能力・謀略を張り巡らせるかは微妙でしょう。やっぱ遺言どうり3年間山の如く動かないのがいいでしょう。

2012/5/1116:51:29

その場合、信長は東は後回しにして西、波多野、本願寺、毛利攻めを優先します。勝頼が山県、馬場の意見を聞くなら、徳川家康を攻めることでしょう。家康は浜松に籠って守勢に徹するでしょうが、織田が西に大軍を派遣して援軍の可能性がないなら徳川はじり貧になって降伏か滅亡。1576年になると謙信が信長と敵対しますから、勝頼が謙信と同盟を結び、上杉が越中から 武田が美濃か尾張から攻め入れば、織田は武田にまず向かうでしょう。上杉には能登七尾の畠山がいますから当分は抑えがききます。この場合、武田が信長に勝つには勝頼が山県ら歴戦の名将の言葉を聞き入れることにかかっています。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。