ここから本文です

宇治拾遺物語の、秦兼久の悪口で 最後に「さりけり、さりけり。ものないひそ。」...

rou********さん

2012/5/1718:19:32

宇治拾遺物語の、秦兼久の悪口で
最後に「さりけり、さりけり。ものないひそ。」とあります。

先生は間違いを指摘されたのを恥じて
「そうだった、そうだった。誰にも言うなよ」
と答えた

、と仰いました。

でも、
通俊は最初から和歌集に兼久の歌を入れるつもりはなくて、断るための適当ないちゃもんとして「花こそ」の批判をした。だから、最期の台詞は「こじつけなのはわかってるから何も言うな。」という意味である。

という解釈の一説が友人からあげられました。
どうなんでしょうか?

閲覧数:
5,100
回答数:
1
お礼:
500枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

lie********さん

2012/5/1721:18:15

『宇治拾遺物語』一〇「秦兼久通俊卿の許に向かひて悪口の事 」

実は、どちらの解釈も筋が通っているのです。
この話には裏の事情がありました。

まず、秦兼久の歌(宇治拾遺物語の兼久は誤りで、実はその父の兼方の歌)は、決して藤原通俊のいうような、凡作ではなく、その証拠に、のちに『金葉集』に採用されました。なかなかの秀歌だったのです。

いっぽう、通俊はまだ若く、歌人としての実績も今ひとつだったので、『後拾遺集』の撰者に選ばれたときには、多くの人が首をかしげました。通俊は白河院の寵臣だったので、実力もないのに、院のひいきで選ばれたのだとうわさされました。

そのせいか、『後拾遺集』はのちのちまで不評で、通俊の撰にもいろいろと疑問が呈されました。これには通俊個人への反感も含まれていました。

そういった当時の雰囲気の中で、通俊への反感から生まれた話であることを念頭に置いてください。

通俊が、自分のまちがいを恥じて、口止めをした、というのは、
彼は、間違いを犯したうえ、それを口止めするような姑息な男として描かれている、という解釈です。

お友達の解釈も、深読みですが、ありそうなことです。
通俊は、秦兼久(兼方)の身分が低いので、まともに彼の歌を扱う気がなくて、適当な文句をつけて追い払った。だから、その文句がまちがっていることを指摘されて、「そんなのわかってる、黙っておれ」と言った、というのは、
彼は、歌そのものの出来よりも、相手の身分や経歴で判断する、芸術がわからないうえに、性格の悪い男として描かれている、という解釈です。

どちらも、話の主旨として、まちがってはいないので、このへんになると、解釈する人の好みの問題といえましょう。

質問した人からのコメント

2012/5/18 22:15:54

なるほど、そのような背景があったと考えるとどちらもありそうです。
今度学校の先生にもこのことを踏まえてご意見を伺ってみます。
丁寧な解答ありがとうございました。

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる