室町時代の貨幣システムについて教えて下さい。 よくアニメ一休さん等には○○貫文という言葉が出て来ますが正しいのですか?

室町時代の貨幣システムについて教えて下さい。 よくアニメ一休さん等には○○貫文という言葉が出て来ますが正しいのですか?

補足

う~ん(汗)今回のように回答が別れるのは非常に珍しいですね。 はてさて、どなたのを信じれば良いのでしょう?

日本史6,124閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

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正しいです。 鎌倉・室町時代のお金は中国から渡来した銭(1文銭)だけでした。 1枚が1文、1000文が1貫文です。 下のHPに当時の物価が紹介されていますが、だいたい 米1石=銭1貫文 1日の労賃=100文 前後です。 米1石(150Kg)は現在7万円くらい、 1日の労賃を1万円とすると1貫文は10万円となります。 http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/J020.htm ●追加 領国貨幣は、16世紀後半から武田氏など一部の戦国大名が発行することはありましたが、それは稀です。 あくまで渡来銭が当時の貨幣です。 しかも、一休さんの時代の15世紀に領国貨幣は存在しなかったと思います。 ●再追加 江戸時代、1000文=1分銀、というのもとんでもない間違いです。 一分銀が発行されたのは江戸後期の19世紀になってからですが、そのころは約1500文=1分銀です。 中世・近世の貨幣制度を全くご存じない方の回答にあきれるばかりです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

サイトをつけて説明してくれたあなたを信用します。 それにしても回答が別れるなんて初めてでした。 他の方もありがとうございました。

お礼日時:2012/5/29 7:59

その他の回答(2件)

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室町時代前期は、中国から輸入した渡来銭が流通していました。 義満が日明貿易をすると、良質な明銭が大量に流通して貨幣経済が安定してきます。 本来ならば銭千文で一貫文なのですが、前近代には習慣的に960文で一貫文とする省陌法という方法で計算されるのが普通です。 地方銭は極一部の戦国大名が行った例外的な制度です。

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室町時代は領国貨幣の時代で各地の大名が領内流通を目的とした地方貨幣。 ○○貫文は間違いです。 一休さんの代表的な説話 [編集]殆どが江戸時代に作られた物で、実在の一休が周建を名乗っていた幼少時代に時代が設定。江戸時代の物語とすれば正しい。 徳川幕府の貨幣制度の成立 1000文が1貫文(かんもん)=一分銀 4000文が4貫文(かんもん)=一両 補足 この時代に1貫分など貨幣単位など無い。 一休宗純 室町時代応永17年(1410年)、17歳で謙翁宗為の弟子となり戒名を宗純と改める。 一休の物語の時代背景は1400年となり、 当時は幕府は貨幣は製造していない 1404 年に明と室町幕府との間に条約が結 ばれ、貿易が始まりました。銅銭は、ますます重 要な輸入品となる。銭1000枚分の質量が質量単位としての貫となった。日本では、一 文銭の目方であることから「匁」と呼び、1000匁を1貫とした。 すなわち先に匁と いう単位があって、その1000倍の質量として貫が定められたもので ある1000匁(3.75kg)を1 貫とした。 この時代に1貫分など貨幣単位など無い。 しつこく説明 徳川幕府の貨幣制度の成立 銭貨の通貨単位としては1000文が1貫文となるが、江戸時代には省陌法と称して960文をもって1貫文 1貫文 1貫文 1貫文