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昭和天皇が決戦にこだわり終戦の御決断を遅らせたのはなぜですか?

nin********さん

2012/6/1222:01:58

昭和天皇が決戦にこだわり終戦の御決断を遅らせたのはなぜですか?

以下は近衛文麿と木戸幸一の会談の内容を、近衛が海軍少将の高木惣吉に伝えたものです。

『尚木戸に突っ込んで、一体陛下の思召はどうかと聞いたところ、
「従来は、全面的武装解除と責任者の処罰は絶対に譲れぬ、
それをやるようなら最後迄戦うとの御言葉で、
武装解除をやれば蘇連が出てくるとの御意見であった。
そこで陛下の御気持を緩和するのに永くかかった次第であるが、
最近(五月五日の二、三日前)御気持ちが変った。
二つの問題もやむを得ぬとの御気持になられた。
のみならず今度は、逆に早いほうが良いではないかとの御考えにさえなられた。
早くといっても時機があるが、結局は御決断を願う時機が近い内にあると思ふ」
との木戸の話である』
(『高木惣吉 日記と情報』)

全面的武装解除と責任者の処罰を避けるため、米軍との決戦で一撃を与えて有利な条件で講和する・・・というのが昭和天皇のお考えだったことが分かります。因みに昭和天皇のお気持ちが変わられた5月初旬は沖縄戦の最中でドイツ降伏も秒読み段階でした。

(以前の質問で、kumialphaさんから「そんな事実があるのでしょうか?出典は?」とのご指摘をいただきました。よって出展を明記した上で仕切り直しいたします。)

補足一部回答に誤解があるようですが、昭和天皇は終戦を拒否していたわけではありません。ただ、この条件だとポツダム宣言時の陸軍の態度と変わりません。

また信憑性の問題ですが、
・和平工作に携わっている人の記録であること
・重光葵外相の手記からも同様の内容が確認できること
・沖縄戦について昭和天皇が「現地軍は何故攻勢に出ぬか、兵力足らざれば逆上陸もやってはどうか」と統帥部に促していること

などから高いと判断できます。

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yan********さん

編集あり2012/6/1523:03:57

決戦にこだわるって意味不明ですが、まずその又聞きの覚書の真偽も分かりませんし、仮にその様な会話が実際にあって、尚且つそれが天皇のご発言だっと仮定しても、普通終戦する際に少しでもマシな条件を引き出す為の交渉や努力、成果を挙げようと試みるのはごく当たり前の事だと思いますがねえ。

その間にも犠牲者が出るからといって、何でも言うとおりに致しますでは国民も納得しないと思いますよ?
国民も支持して、戦ってきた戦争なのですから。

五月五日といえばまだポツダム宣言文も出来ていませんので、十条の「日本人を民族として奴隷化しまた日本国民を滅亡させようとするものではない。」や九条「日本軍は武装解除された後、各自の家庭に帰り平和・生産的に生活出来る。」等も保証がありませんからね、この時代はアジア諸国のように日本人も植民地奴隷のような事になるのではないかと危惧するのは自然です。

決戦ではなく何れかの戦いにおいて戦果を挙げ、少しでも有利な条件を引き出したいと思うのは原爆の投下やポツダム宣言の前から既に和平を念頭においていた証拠ではないですかな?

あとこの著者の高木惣吉は海軍大臣米内光政から密名を受けて終戦工作をしてますが、その米内光政は陛下の真意が和平にあると確信してそのような行動を取っていたと記憶してます。

追記1
個人の書いた覚書がそのまま歴史の真実だと勝手に確定してしまえる思考回路の方が驚くべき短絡だと思いますね、著者は陛下の言葉を直接聞いてません、しかもその言葉を聞いた人物がその内容を語った現場にさえ居ません、又聞きの又聞きなのです。

御前会議の内容は公文書として残っていて一般の閲覧は可能です、そういったものでも真意は本人や当時の空気も併せて考慮し慎重に信憑性をはかります。

従って又聞きの覚書等の場合、仮に事実だと仮定してと議論するのはまともな知性を持つ者にとっては常識なのです。

追記2
和平工作に携わっている事と又聞きの内容の信憑性は全く関係ありません、重光葵の手記とありますが重光外相もその内容を又聞きしたのですか?
最後の攻勢に出ないのか?との言葉は4月3日の時点での戦史叢書に出てくるくだりだった筈です、何度も言うように決戦にこだわって終戦を遅らせたのではなく、戦果を上げておきたいとお考えの時期、それもやむを得ぬとお考えになられた時期、そしてポツダム宣言が出されて早く終結させたいと思われた時期と何も不自然なところはないですけど?

又聞きだからと言って必ずしも嘘だなどとは私は思いませんよ、ただ鵜呑みに出来ない事を「事実」と踏まえて質問されているようなので有ったと仮定して述べているだけです。(追記1は疑う事自体がおかしいと言うような論調の人も居たのでそつら宛です)

それと根本的に誤解されているようですが、陛下のご意見はあくまでご意見です、何の法的拘束力もありません。
あのご聖断ですら単なる陛下のお考えであって、それを御前会議にかけて採決された後改めて陛下の裁可を得て初めて法的拘束力を持ち国の方針となるのです、なので例えばあの時点で陸相が辞任し後継を出さなければ鈴木内閣は総辞職、更に組閣は不可能で陛下がどのような意見であろうと直接軍政を敷き本土決戦をすることも当時の仕組みでは可能なのです。

それ程陸海軍は大きな力を持っていたのです、勿論それは国民が軍部を支持した結果です。

従って陛下には終戦を決める権限はありません、鈴木首相がわざと3対3で意見が割れるようにして、ならば陛下の聖慮を持って結論とするとしたのです、そして陛下は「私の意見は外務大臣に賛成(国体護持の一条件にてポツダム宣言の受諾)である」と発言されました、先程説明したように、この時点では天皇の個人的意見にすぎません、それを閣議で決定し、閣議決定を裁可する(今でも天皇はそうです)役目の天皇が裁可して正式に国の方針となります。

天皇というより、立憲君主は閣議で決定した事を裁可するのが仕事です、それが意に沿おうと沿うまいと拒否権はありません、もし己が好む所は裁可し、好まざるは否決出来るならそれは立憲君主ではなく天皇親政となります。
その辺が複数の回答者と質問者さんでイマイチ会話が噛み合わない原因ではないでしょうか?

結局戦争を始める前も終戦の前後も戦争を嫌い和平を一番望んでいたのは日本では他ならぬ天皇陛下その人ですよ、それだけは間違いありません。

質問した人からのコメント

2012/6/16 21:23:02

私もこの覚書を読んで驚きと戸惑いを覚えました。そして、何故なのかと質問させて頂いきましたが、回答者の皆様も同様に戸惑っているように見受けられました。それは事実なのか?という反応がまず出たということは、この覚書自体があまり知られていないのでしょう。
勿論、信憑性の問題もありますがこういった話にも真摯に向き合うべきだと私は考えます。
また機会があればよろしくお願いします。今回はありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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ths********さん

2012/6/1402:26:01

その手記の記述に信憑性がありますか?

また聞きのまた聞きだし・・・

木戸と近衛の会談でそういった会話が本当に会ったのか?
木戸や近衛も日記等を残しているが同様な、もしくはそれに類する内容の記述が有るのか?

そういった考証もしないとこの記述だけで陛下の真意を決めつけることはできませんよ

あと、記述を読む限り
昭和天皇は当初は武装解除や責任者処罰といった無条件の全面降伏は出来ない(注意するのは条件付きの終戦まで否定はしていない。終戦を拒否しているとは言っていない)と言っていたが木戸が長い時間をかけて状況を説明して無条件降伏やむ無しという考えに最近なられた
と読み取れます

終戦を拒否していたとは読み取れないんですけど

tou********さん

2012/6/1305:10:48

国の針路に関する決断にいっさい責任も権限もない、従って戦争責任もない(という事になっている)人が何を言おうが、いちいち話題にする必要はないのではないでしょうか。

昭和20年の5月に日本が一度大きな戦果をあげて講和の条件をなるべくよくしようと考えた??あの時点で一体何が出来たのでしょうね。そんな可能性は「まったく」なかった。気の狂った軍部のつまらんメンツに付き合わされた国民はもう戦争はコリゴリ、終戦は大歓迎だったでしょう。

高木惣吉の著書すら信憑性を云々する人がいるのは驚きです。日中戦争はコミンテルンの陰謀、ホロコーストも南京大虐殺もなかった、真珠湾はアメリカのワナ、、、パターンが決まっています。

les********さん

編集あり2012/6/1512:57:40

戦中工作に携わっていた個人の出版は、鵜呑みにはしたくないな。

そりゃ信ぴょう性はないでしょ。1つだけを取り上げ真実かのごとく語るのは朝鮮人の手法と変わらない。
富田メモも同様。
陛下の一言一句は、わからないというのが正しい。
帝国憲法も、これが「正」。

-
信ぴょう性が高いといいますが、その根拠がないのに言えないはずです。そう思うのは勝手ですが。
彼は伝え聞いたことを残しただけです。

・彼は入隊直前に病気となってしまい、研究職に配属された
・またその後も課長だった彼がどこまで真実を聞けた立場にあったのか
(当時は上官は絶対だったので、そう言われればそうだとメモした可能性)
・和平工作といいますが、日米開戦が悪化してからの工作ではなく、彼の回想は昭和17年1月時点から、つまり太平洋戦争に突入直後からのものです。
・彼は「戦局は(17年から)見え透いている」とも書いていますので、もともと戦争に反対の立場と見受けられる
・彼は自分が重要会議の参加者ではなく、歴訪した人々との会話、所見、感想などからのメモとしています。

重要文書や正式文書でも公文書でもないため、個人メモの範疇を超えていません。
個人メモは、あくまでもメモです。
富田メモ同様、はたして陛下がどう発言したのか、真実は雲の中のままです。「信頼性」などというのもおこがましいし、非礼です。

またこんなのが「メモ」といえるか、と思うような長文(発言記録)のようなものもでてきます。
彼は仕事で、将来のなにかのためにそういう文章作成を(負けた場合の対連合国言い訳根拠集のような)命じられていたのではないでしょうか。

kin********さん

2012/6/1222:38:08

あの状況において、陛下としてはお立場上そう言わざるを得なかったでしょう。
それ以上でも以下でもない。結局質問者は何を意図しているのかな。

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