明治14年政変をあつかった風刺画で、タコとクマの相撲の絵があると思うのですが‥なぜ黒田がタコで大隈がクマなんでしょうか?

明治14年政変をあつかった風刺画で、タコとクマの相撲の絵があると思うのですが‥なぜ黒田がタコで大隈がクマなんでしょうか?

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明治14年(1881)10月22日、「団団珍聞」(まるまるちんぶん)第234号に掲載された開拓使官有物払下げ事件の風刺画 大隈重信が「クマ」で描かれているのは、名前の「隈(熊)」から 黒田清隆が「タコ」で描かれているのは、「黒田」を「黒タコ」ともじったからと思われます。黒田清田は榎本武揚を助命するため坊主頭になっているので、それから来たのかなあとも思っていますが。 なお明治14年9月18日の「団団珍聞」では、黒田清隆は和服を着た女性のタコ姿で描かれています。 大久保利通と後藤象二郎は「象」で描かれるようです。象二郎の「象」、大久保利通の生年時代の名は「一蔵」ですので、「蔵」から取ったといいます。五代友厚、板垣退助は「鯛」といいます。 この風刺画には、「力負けして今度ハ自分が土俵の外へ踏み出したワイ」(大隈重信の下野を意味するもの)と書いてあるとのことです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ありがとうございます! わりとシンプルなんですね^^ このあたりの歴史はおもしろいので、いろいろな史料にあたってみたいと思います♪

お礼日時:2012/6/15 9:00

その他の回答(1件)

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>開拓使官有物払下げ事件の風刺画(団団珍聞・1881年10月22日号) 開拓長官黒田清隆(クロタコ)と、これに対する大隈重信(クマ)の対決をあらわしている風刺画。