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最近、小説の宮本武蔵をよんでいます。歴史に疎いのですが、武蔵は本当にこんなに...

gre********さん

2012/8/402:49:40

最近、小説の宮本武蔵をよんでいます。歴史に疎いのですが、武蔵は本当にこんなに沢山の人を斬っているのですか?当時の法律とか大丈夫なんでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

gun********さん

2012/8/404:38:05

宮本武蔵は史実を調べても、小説と比べて、さほど大きくは変わらない、武勇に秀でた、恐らく、日本史上最強の剣豪です。
13歳から29歳までの間に、60数回の果し合いをして負けた事が無いと言うのは凄い事です。この数からすれば、少なくとも対戦相手の60数人は死んでいると思います。
関ヶ原の戦いは武蔵が16歳の時ですから、まさに弱肉強食・戦国時代の真っ最中ですから、強い武芸者が試合で勝つと言う事は、相手は致命傷を受ける事を意味しますし、即死でなくても死に至る事は多かったと思います。ただ武蔵の試合は木刀を使う事が多かったらしく、その場で切り殺すケースは少なかったのではないでしょうか。木刀を使った理由が記録に残っていますが、日本刀は切れ味は良いものの折れ易いので果し合いの決闘には向かないと判断していたようです。当時の法律ですが、徳川幕府が成立した(1603年)後、1615年に「武家諸法度」を発布し、主に大名、藩主のルールを制定しましたが、武士同士の私闘を禁止したのは寛永12年(1635年)の武家諸法度寛永令ですから、武蔵は51歳、それまでは決闘はお咎め無しです。これ以降の武蔵の決闘は、藩主、或いは城主の命に因る、御前試合ですので、これまたお咎め無しです。1640年頃には熊本藩に招かれ剣術指南その後、有名な「五輪書」の執筆に専念し、完成直後1645年に没しています。

質問した人からのコメント

2012/8/10 20:34:09

感謝 皆さんありがとうございました。この小説、凄すぎる。

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uri********さん

2012/8/502:20:16

兵法者同士が合意の上で斬り合いしてるなら問題ありません。
「侮辱を受けたので斬った」でも通じる時代ですし。
江戸時代以降は建前上は問題ですが、寛永くらいまでだと戦国の蛮風が色濃く残っており、旗本同士が酒席の口論こじらせて平気で斬り合いとかやってます。
武蔵存命中は大目に見られる範疇であり問題無いです。

武蔵の戦績やどれだけ斬ったというのは確実な史料が無く、なんとも言えません。
が、細川家という家格も立派な大藩に(食客とはいえ)招かれ、剣客としてほぼ上限の禄を貰ってますから、それなりの物を持っていたのは事実としていいでしょう。
『五輪書』はハンパな兵法者に書けるようなシロモノではないです。

kam********さん

2012/8/417:57:32

小説ですよ。
フィクションの世界です。

第一、彼の門弟で有名な剣客が出ていない。
二点一流と言うが、田舎兵法に過ぎないこと。
有名な剣客と試合をしていない。
新陰流のように沢山分派してないことなどからさほどの使い手ではなかったと思われます。

old********さん

2012/8/412:06:44

晩年{五輪の書}を残したので有名になっただけです

吉岡清十郎と対戦していない、柳生の高弟にも勝てない、厳流島での戦いでは佐々木小次郎を門弟で袋叩き

60余戦ったとは考えられません

sem********さん

2012/8/403:42:08

生前から様々な通説があった人ですからね…
(晩年に「…と言われているが本当か?」と問われた
という記録がある)

それでも
足しかと思われる資料だけでも多くの試合を行い
引き分けなどもありつつ周囲に認められるほどの
実績を重ねて行ったことは事実のようですので
(主君の命で試合を行っている記録もある)
強かったのは間違いないでしょう
(試合後も変わらず厚遇されていますので…)

ただ
有名な「吉岡一門」との抗争では
実際に誰が死んだのか
決着はついたのか
は様々な資料からは謎であり
(死んだ、生きている、引き分けた、吉岡が負け
武蔵が負け…など、同時代の資料でも確定した
説が存在しない)

近代の小説などに言われるほど多くの人を
斬ったのかどうかはよくわかりません

とはいえ、兵法家・武芸者ですので
(合戦などにも参加している)
それなりの人数は斬っているとは言えるでしょう

あと
法と言っても
「その地域の治安を預かる役所」に「決闘」の許可
をもらえば(場所や日時の指定などありますが)
決闘(殺し合いも含む)出来た時代です

武芸者が自分の武芸の腕前を売り込むために
「誰の挑戦でも受ける」という看板を立てて対戦相手
を募集することすら普通にあった時代でもあります
(若いころの武蔵は、旅の武芸者に挑んで打ち殺し
たという記録もある…真偽は不明ですが)

許可さえ取れれば殺し合い・敵討ち自由
合戦が始まれば、足軽は敵地で略奪・殺害自由
そんな時代だったのです

現代の考え方で正しい・正しくないを見たところで
あまり意味は無いでしょう

tak********さん

2012/8/403:02:26

詳細は知りませんが、人はある程度、斬ってはいるようです。法律?安土桃山時代~江戸時代初期にかけてですよ。時代背景を考えてください。他の剣豪も柳生宗矩も大阪夏の陣で大阪方の兵士を7人斬っています。これは徳川秀忠を護衛した時に斬っています。また富田流の富田重政も前田利常に同行し大阪夏の陣で10数人の首をとっています。柳生兵庫助も加藤清正に仕えていた時に、古参の家臣を一揆の鎮圧の仕方をめぐる意見の食い違いから斬り。この後、一揆勢の首謀者(旧小西行長の家臣達?)の所に強襲をかけて鎮圧しています。加藤清正は柳生石舟斎の兵庫助が仕える前の「短気なところが兵庫助にはあるので、2度までの失敗は許してやってくれ」という願いを聞き入れて許しています。

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