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ポーテージ早期教育プログラムについてどう思いますか?

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ID非公開さん

2012/8/422:20:48

ポーテージ早期教育プログラムについてどう思いますか?

回答どうもありがとうございます。
私の考えと近い回答を頂いたので、もっとご意見伺いたく思いました。

実は、児童発達支援センターがポーテージ早期教育プログラムを
取り入れているのですが、出来ないことを出来るようにして行こうと
いう思いが強すぎるのか、子供たちに対して厳しすぎるのでは?と
思うことが多くあります。
規律が厳しい為、通常の保育園よりよっぽど子供たちは礼儀正しく、
おとなしく並んだり座ったりしています。

でも、出来なかったことが出来るようになると親御さんも喜びますよね。
やはりある程度は必要な厳しさなのでしょうか・・・。
センターに通ったことによって、支援級と思っていた子が通常級に
進学することもあると思います。
ポーテージ早期教育プログラムを取り入れることは、障害児にとって
その親にとっても、良いことだと思いますか?

この質問は、kg_********さんに回答をリクエストしました。

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kg_********さん

リクエストマッチ

2012/8/609:20:43

まずボーテージ早期教育プログラムの根幹そのものは、そんなに大きく間違えているとは思いません。
しかし、どんなプログラムもそうですが本来は「本人の為」が中心になければいけません。
質問内容を読む限り、ボーテージ早期教育プログラムの内容がどうこうという問題よりは、そのプログラムを実践する側に色々問題があるような気がします。

幼児教育の世界ではモンテッソーリ教育が世界的に有名です。
このモンテッソーリ教育もマリア・モンテッソーリ女史が障害児に対する教育から普遍化し、精緻な理論を組み上げました。
モンテッソーリ教育を標榜する幼稚園は世界的にもたくさんありますが、では全ての幼稚園でマリア・モンテッソーリ女史の考えを真に理解し、実践できている園は少数派でしょう。
マリア・モンテッソーリ女史はどんな子にも通用する「形」を作り上げていきましたが、多くのモンテッソーリ園ではモンテッソーリの形に子供を合わさせる、という逆転現象が起こっています。

このボーテージ早期教育プログラムにしても、同じような現象が起こっているのではないでしょうか。
そういった意味では、先の回答者様と同じ回答となります。

障害児教育に限らず、特に日本の教育では「目に見える成果」が求められがちです。
「出来なかったことが出来るようになる」というのは特に親御さんにとっては嬉しい事ですし、教育者も嬉しいのでこういった事が求められがちです。

しかし、そもそも「人に合わせる事ができない」から障害と言われているこの子たちに、「他の人と同じ事ができる」を求められたらいつか潰れますよね。
本来は「その子たちらしさ」をそのまま保ちながら、本人たちの必要に応じて「普通の世界にアクセスする方法」を身に着けてもらうのが療育であり、障害児教育だと思います。

大切なのは「本人たちの必要性」であって、それが周りの大人たちによる「必要になるはずだ」と同じとは限りません。
本人たちの必要性から乖離が大きくなればなる程、その教育はお互いに不幸な結果をもたらします。

まぁそもそも、「礼儀正しく、おとなしく並んだり座ったり」できれば通常の社会的生活が送れるわけではありません。
言い方は悪いのですが、この程度だったら犬や猿にも仕込めばできます。

表面上の芸を仕込むのが障害児教育ではありません。
ですが日本の発達障害支援の枠組みは、学齢段階によってブツ切りにされているので、療育なら未就学児の時、それ以降は小学校、中学校とそれぞれバラバラです。
ですから、療育なら今見ている時だけ、小学校は小学校の時だけ、中学は中学の時だけと、その時表面上良ければ「いい」という風になりがちなんですよね。
必ずしもその子の成人期の姿を見据え、長期的な見通しのもとに短期的な計画をたてるというやり方は余りしていないでしょう。

結論としては、どのプログラムがいいか悪いかという事ではなく、本人にとって大切なのは、本人の長期的な育ちを見てとってくれる支援者の存在という事です。
現状の仕組み上は親しかその役割を担えませんが、療育などの教育関係者もそういった長期的な視点で、「親の喜ぶ事をする」だけではなく、「親を育てる」という視点が必要でしょうね。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ope********さん

2012/8/507:46:13

要は、ひとつの技法だけにとらわれないこと。
子どもに技法を合わせるのであって、技法に子どもを合わせるのではないこと。
技法には限界があり、万能ではないこと。

療育を望む保護者は、当然具体的な方法を望みます。その望みに応える技法のひとつと私は理解しています。
目標が明確で、やることも明確ですね。ちゃんと評価しつつ、次のステップに行きます。

ポーテージ早期教育プログラムは、TEACCHプログラムほどメジャーではありませんが、両者は相反するものではないと思います。
ポーテージ早期教育プログラムは、それなりの指導者、支援者が必要であり、TEACCHプログラムは親が自習しやすい、応用しやすいというアドバンテージがあると思います。
また、TEACCHプログラムは子どもだけではなく、環境をどう形成していくか、周りがどう協力して社会生活を適応的に行えるかという非常に幅広い活動を含んでいます。ポーテージ早期教育プログラムだけでは限界があり、TEACCHプログラムの視点は不可欠です。

何事も極端な希望は禁物であり、技法の取り入れについても絶対視は避けた方が良いでしょう。

かつて「奇跡の詩人」問題がありました。解説は略しますが、一つの技法と極端な希望が子どもに対して虐待かとも思われる課題を負わせ、親も批判にさらされた悲しい出来事でした。

全ての子どもががこのプログラムを受けることで、支援級ではなく、通常級に行くということではないのです。
子どもに期待をかけてあげることは親として当然ですし、それで療育が進みます。療育の原動力になります。

限界もある、それが生活のすべてではないということをわきまえた上での取り入れは良いと思います。注意すべきは、過度な適用による2次障害の発生でしょう。
それが、「子どもに技法を合わせるのであって、技法に子どもを合わせるのではないこと。」の意味です。

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