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ヨブ記では、一体、どうしてヨブは神に対して納得できたのでしょうか。

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ID非公開さん

2012/10/117:38:00

ヨブ記では、一体、どうしてヨブは神に対して納得できたのでしょうか。

サタンによって、財産、家族、健康をヨブは失ってしまい、神に対してヨブが無罪を主張していたところで、神から世界の説明を受けて納得して無罪の主張を止めて納得してしまいますが、どうしてヨブが満足したのか、理由がよくわかりません。知っている方がいれば教えてください。

補足回答いただい皆さま、ありがとうございます。
一点、突っ込んで教えてください。

ヨブが苦難に遭っていいと認めたのは神です。潔白な自分が苦しみ、悪人が栄えていることにもヨブは不満を述べていました。そういった不平等をなぜ納得してしまったのでしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

sop********さん

編集あり2012/10/501:28:32

【修正】補足込みで長くなってしまったので、まとめました。

ヨブは元々耐えられる信仰があり、苦難も恵みだということを理解して納得します。ヨブは、病に苦しむ者、貧しい者を理解し、彼らの苦痛を知っていたので、理解に至ったのです。

元々、ヨブは神に何かの間違いだと思って告訴していました。(31:35)
ヨブには義人なのに、ひどい仕打ちを神から受け、一方で、ヨブはやもめや貧民に手をさしのべていますが(31:19)、これでは神の仕打ちはヨブ以下の倫理観ということになってしまいます。

ユダヤ教では、たとえばエリザベトのように、子供が生まれないのは神が顧みられないからと考えられたし、新約の時代でも、不遇は神に対する罪が原因とされていました。不遇にも自分の罪に原因があるというのです。

38章から神がヨブの前に姿を現しますが、世界のあらゆるところに神の力が働いていて、力が及ばないところがないことを知ります。その世界は三人の友人の言うような因果応報の世界ではなく、神の無償の愛に由来する世界でしたから、不遇ですら神の無償の愛だと痛感して納得してしまうのです。不遇にある者をヨブは愛していたから、神は不遇にある自分を愛していることを理解できるのです。ヨブは人生すべてが神から与えらるものだと知っていました。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」 (1:21)

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質問した人からのコメント

2012/10/7 00:44:11

回答いただいた皆さま、ありがとうございます。礼拝前に目を通して決めようとしていました。図書館にも足を運び、オリエントの宗教が混入しアラム語が混じっているので難解で、特に、ここは難所みたいですが、本のアプローチはこの方に近かったです。教会では何となくヨブの神への絶対の信仰で済まされてしまうので、苦難は本当に理解したいと思いました。
回答ありがとうございます。

ベストアンサー以外の回答

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kok********さん

2012/10/611:25:16

PS
>ヨブが苦難に遭っていいと認めたのは神です。
>潔白な自分が苦しみ、悪人が栄えていることにもヨブは
>不満を述べていました。そういった不平等をなぜ
>納得してしまったのでしょうか。
キリスト教徒と言うのは、こういう疑問を持ちながらここに
書かれている「神様」と言うのが、何かの象徴だとは思わない人種
なんだよね。
気の毒な人達なんだね。
ここに書かれている「神様」と言うのは、「ユダヤ教団」の事
サタンと言うのは、「俗世間」の事なんだよ。
それを頭に入れてヨブ記を読まないと、ヨブ記はただの紙芝居に
なるのではないだろうか?

本文
ヨブさんは、満足したと言うより、神に象徴されるユダヤ教会に
「丸め込まれた」と考えた方が良いのではないだろうか?
当時のユダヤ教は、ユダヤ社会を統治した政府機構と考えてください。

ヨブ記は、大組織(ユダヤ教)の歯車(一信者)として生きていくか
スピンオフして一匹狼で生きていくかの選択に似ているのでは
ないだろうか.....

一信者は確かにリスクが少なく安泰なのだか、それが本当の人間の
生き方かと言うと疑問が一杯残る。一匹狼は、確かに世の中の真実を
追求できるが、リスクが大きい。それこそ財産、家族、健康を失いかねない。

ヨブはまさにそういう目に遭い、全てを失って結局十分には納得できな
かったが、ユダヤ教団の信者に戻った分けです。

ris********さん

2012/10/416:56:28

様々な意見が出ていますので、外面的なことだけ書きます。

エゼキエル 14:14 と 16 は「ノア、ダニエル、ヨブ」の 3 人に言及しています。このうちダニエルは、ダニエル記の主人公と見なすには時代的なズレがありますので、紀元前 15-13 世紀頃のウガリト(現シリア)で知られていたアカット叙事詩(別名ダニエルの伝説)の主人公を指しているのでは、と考えられています。

であれば、ヨブはノア、ダニエルに次ぐ「古き英雄」としてカナン地方にも知られていた人物(バビロン捕囚期までずっと!)、ということになります。その「古き英雄」に、akinosakura12 さんの仰る「新しい思想」を仮託しているのがヨブ記と言えるでしょう。

ちなみに、ヨブ記のヘブライ語は、新しいようで古い、古いようで新しい、非常に難解なものです。ところで、我々が古典ヘブライ語として習うものは、ダビデの中央集権国家建設の際に、行政や教育のために作られた「標準語」です。しかし、地方や民衆は相変わらず自分たちの方言を使っていました。国家が崩壊し、「標準語」の重要性が弱まると、それまで記録されることの少なかった民衆の方言が表に現れるようになります。

つまり、バビロン捕囚期から見られるようになった「新しい特徴」も、それまで標準語の影に隠れていただけで、民衆の間で脈々と受け継がれていた「古い特徴」である、ということもあるわけです(その遠い遠い延長線上に、現代ヘブライ語があります)。

「古い英雄」に「新しい思想」を仮託したヨブ記も、実は民衆レベルでずっと受け継がれていた「古い思想」の再登場だったのかもしれません :-)。

---
なお、ヨブ記の思想を極端化したのが、旧約外典の『ソロモンの知恵』と言えます。あそこまで行くと kokomosky2012 さんの言う思考停止、あるいは不可知論になります。しかし、ヨブ記はぎりぎり、そこまで行ってはいません。こうして比べてみるのも、理解の一助になるのではないかと。

aki********さん

編集あり2012/10/516:52:11

ヨブ記は、コーヘレトの言葉(伝道の書)と共に、旧約聖書の中では新しい思想です。
書物は目的があって書かれますので、今までの思想に対する疑問でしょうね。
似ている点は、突然あきらめたように納得すること。違う点は、ヨブ記にはどこか素直さと明るさが感じられること。
古代思想なので、悪はサタンに担当させています。
現在の震災後の日本では、ヨブ記は身につまされる話であると思います。
だから、あなたも読んだのだしょうか。

以前の「正しきものの神」…友人たちの述べる「神」でもありますが・・・に揺らぎがではじめた。
外国の支配が続き、律法を守りただしく生きていても報われない。

想像にすぎない物事の原因や理由を抜きにして現実を見渡した時に、ヨブの納得が「一番現実的」ではないでしょうか。
私自身の人生でも、ヨブの納得は素直に感じます。

大自然の一部にある「人」・・・これを意識すること。

物語は、アブラハム時代と同じようにヨブは神と交流しています。
手のとどかないところに行ってしまった当時の神が戻ってきています。

この思想が発展し、イエスの思想の中にも受け継がれます。

ヨブ記は「価値観の転換」です。われらは「自然と同じく被造物」である。
それを納得し、受け入れよう・・・と。
理由なんていいではないか・・・と。

旧約思想は、ヨーロッパではなく、ユダヤ地方の思想です。
東洋人である日本人の心の中の「隠し味」をチョイといれると思想が理解しやすくなると思います。

最初に…

自分の正しさと『敬虔な信仰』で手に入れていた幸せは…

最後に…

神からの『理由のない純粋な』贈り物に転換されます。

神様がヨブの不幸を許したのも、ヨブ記の作者の想いを伝える為でしょうね。

「ユダヤの人々よ。不幸の中からこのことに気づいて諦めないでほしい。」…と。




*******************************************************
rishorusさんの回答はいつも興味深いです。

民衆の古くからの伝承・・・土着思想の湧き上がり。
たしかに、イエスの時代以前からモーセより族長系の思想が湧き上がっていく様子がありますね。
「黙示文学」「族長の教え」などのジャンルが湧き上がってくる。
聖書の自由な解釈で手がつけられなくなる。(死海文書にみられる自由な書き換えなど)
中国の知識層は「儒教」を民衆は「道教」を・・・みたいなこともあるのでしょうかね。
上層はモーセ系の思想を、民衆は族長系の思想を・・・みたいな。
それから比べると、創世記1章からはじまる「律法と預言者」はエリートの思想ですよね。
創世記冒頭などは、つくづくすごいと思います。あの時代に。

外国支配がつづき、自国の権力争いなどで、上流階級や知識層の権威が失墜していったのでしょうね。
「族長」登場は、民衆の誇りかもしれません。最終的ににユダヤ国粋主義のうねりとなりますから。
この時点での救いは「族長伝承の形を借りた、新しい思想」だったのでしょうか。

vai********さん

編集あり2012/10/318:52:45

ヨブとその友人、そして神との間で交わされている会話が詩の形式で書かれ、人生の困難に焦点が当てられています。又ユダヤ教の正典の中では「諸書」に分類され知恵文学と呼ばれるジャンルに入ります。ヨブ記の文章はところどころ翻訳が難しいそうです。

このヨブ記は人間の苦難の原因、そして神がその苦難にどのように関わっているかとゆう問題を扱ってます。

ヨブは「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けていた」1・1
神を信頼し、祝福されて豊かでしたね。しかし全てを失い、恐ろしいほどの苦しみにあう。ヨブのように正しく敬虔な人がなぜ苦しむことに。当然生じる疑問ですが、ここで様々な登場人物がこの疑問に答えようとする。すべての苦しみは罪の結果なのか、神は人を苦しめるのか、もしそうなら何故苦しませるのか。ヨブ記を読む人は登場人物と共にこうしたイスラエルの伝統的な問いと格闘し、ついに神の神秘的な力と方法は人間の理解を超えたところにあると悟る。しかし、苦難の時に神が共にいることが人を前進する力を与え、未来に立ち向かわせるとも言えるでしょう。

最近私は困難にあわれた信者の方から「どんなに辛くても、何故私がなどと思ったことは無いと」聞いたことがあります。まさに、この人の信仰がこの人を救ったのか・・・と感心し深い信仰心に揺さぶられる思いでした。

補足:どんなに困難でも信仰を捨てられなかったヨブの姿勢(嘆き・愚痴りながらも、まさに人間そのもの)と捉えます。

moo********さん

編集あり2012/10/207:40:13

ヨブは、まさか神が出てくるとは思っていなかった。
それなのに、全能神が直にお出ましになったもんだから、もうそれだけで感動して、納得してしまったのですよ。

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