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チェッカーフラッグの歴史について いつ、だれが、どこで、なぜ市松模様を使用する...

mak********さん

2006/11/1418:55:39

チェッカーフラッグの歴史について
いつ、だれが、どこで、なぜ市松模様を使用するようになったか
チェッカーというゲーム盤からきたことはわかっています。
でもなぜ、それを使用するようになったかが知りたいのです
目立つということであればストライプでもよかったと思うのです

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ベストアンサーに選ばれた回答

s27********さん

編集あり2006/11/1711:38:37

チェッカーフラッグ「checkered flag」は、ご質問者の云はれるとうり、チェッカー盤上で競技用の「checker board」の市松格子柄模様です。

古代オリエント紀元前3000年頃に、人間がそれまで天敵に怯えながらも、洞窟の壁に絵を描いてきた時代を凌いで生き永らえ、スーサ出土の彩陶片に初めて格子柄が見出されたのです。
オリエントでは、白、黒の対になった碁盤目が、丁度人生の浮沈、生と死、夜と昼、などを「運命の神」が人間を駒にして遊んでいると考え、「チェッカー」を人生の象徴、社会のシンボルとして扱って来ました。
オリエントから中部イタリアに移住、ギリシャと文化融合したエトルリア民族は最盛期を迎え、独自の文化を築き、地下墳墓の天井壁画にはこの「チェッカーボード」が、宇宙、蒼穹を象徴するかのように一面に描かれていてオリエントの影響を受けたと思わせます。
中世ヨーロッパでは国旗、王、貴族、の紋章の一部や、武具、盾、馬の外被、等チェック「格子柄」が使用されていた事はよく観ることができます。
我が国でも平安時代、貴族の館など「市松格子」や桂離宮の障子の「石畳模様」はよく知られています。

「人間と機械」が、決められた条件・ルールの元で結果を競い、「運命の神のみぞ知る旗」を、いつ、だれが、どこで、定めたか存じませんが、「シロ・クロ(どちらか、はっきりさせよう)、黒白(有罪か、無罪か)」二者択一(勝敗)を決めるに相応しいデザインアイテムである事は数千年の歴史を経ても愛用されてきた事で実証されるのではと思います。
(参考:西洋装飾文様事典、ヨーロッパの紋章、外来・略語事典、他)

質問した人からのコメント

2006/11/19 19:38:21

まじまな回答に感謝
参考文献も役立ちます
ただ、ひとつ貴族の館の「市松格子」は、
少なくとも当時はその様に呼ばれていなかったはずです
市松は、江戸時代の歌舞伎役者の名前から呼ばれるようになった格子柄です

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