tobirisu5019671さん、
なんか、著名な学者を論破した気になっているようですが、見当外れですよ。
「『重言』にはいくつかのレベルがあります。
詳しくは下記をご参照ください。」
この分類がまず滅茶苦茶です。例えば「だいたい60字くらい」や「まず第一に」は冗語法と言うべき語法で、言い換えることが「正しい」わけでもありません。修辞技法を正誤で採点するのは、単なる揚げ足取りの部類でしょう? 冗語法を否定したら文学の多くが「間違い」です。これを「不注意もしくは無神経」という方が無神経です。
「重言っぽいが直せない」
↑これに関しては、すでに「字が重なるから重言っぽい」という誤解に囚われた「感覚」で、論理性も皆無の分類です。「犯罪を犯す」「被害を被る」は結果目的語表現で「意味の重複はありません」。
だいたい「重言っぽい」って重言?違うの?定義をはっきり把握していれば、「ぽい」連発はあり得ないはずですが? 非論理的言辞の極みです。
「1)昔の武士の“強い”侍
2)“暴れる”馬から落馬した
3)桜の花が開花する
4)ノーベル賞を受賞する
5)高額の金を借金する
これって自然なの? 4)は言いかえがむずかしいからしかたがなく使うかもしれないが、ほかの4つはビキビキの重言だよ。簡単に避けられるんだから使う理由はない。」
↑本末転倒。避けられるから避けるのではなく、問題は「避ける理由があるかどうか(間違いかどうか)」のはずですが?
で、「賞を受賞する」は重複表現です。でも「ノーベル賞を受賞する」は重複表現(重言)ではありません。なぜなら、「受賞する」は「賞を受ける」という意味合いだから「賞を『賞を受ける』」では無駄に重なるから不自然なんです。でも「受賞する」に「ノーベル賞を受ける」という意味は内包していません。つまり構文上「『ノーベル賞』を受賞する」という構造で、ヲ格の対象が「賞の中のひとつ」に当たるから「受ける」より「受賞する」の方が動作としてより適切な表現になる、という仕組みなんです。
そして「ノーベル賞を受賞する」と「暴れる馬から落馬する」は構文上同じ繋がり方なので、論理的には「『暴れる馬から落馬する』は重複表現ではない」は真です。
実は北原教授の分類は、誰かの「ぽい」分類とは違い、非常に論理的なんです(学者だから当たり前ですが(笑))。
このように、いちいち論破できますが、最後までやりますか。