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大乗仏教と小乗仏教については 神様のご経綸上、神の教えがホドかれて、ホドケの教えになってから、大乗・小乗ということがはっきりしなくなって来ています。 そして仏教が哲学化され、本当の意味での大乗・小乗を説く事は出来ないといわれています。 大乗と小乗については、大きな乗り物、小さな乗り物とされています。 乗とは乗るということを表します。 この乗りを霊的に神の法(ノリ)という意味に取らずに、唯物的に乗り物と考えてしまったのです。 小乗仏教を極端にいうと自分だけ悟って自分だけ救われればいいという教えです。 大乗仏教を例えると大きい乗り物となります。 自分が仏の道によって悟るばかりでなく、人にもみ仏の道を悟らせ、救われていく世の中にしようというものです。 小乗仏教は個人主義であり、大乗仏教は社会主義であると大まかにいえるかと思います。 大乗とは、神の法(ノリ)で、神が乗っていかれるところのミチ(霊智)です。 また、神界や神霊界のことと解釈すれば、大乗の教えも理解できるのです。 宇宙一切の創造・化育・繁茂・弥栄え等の仕組みの置き手、ノリ(乗・法・則) 即ち神の大仕組みの置きて(乗り)が大乗(おおのり)といい、人知による哲学とか学理とかいうものは小乗だと神は言われます。 そしてミチ(霊智)については、『なれば神・幽・現三界に亘りてタテに連なりて生き生きとして動く理、 いいかうれば、三大霊界の動きとその法(のり)・実相を智(し)るを霊智(みち)と申し、その法(のり)に乗りて人生を 往かんとするをマコトのミチと申すなり。』と神より示されています。 大とは神ということです。 釈尊の教えも神の経綸から来ていて、如来や菩薩といわれる方たちは、神界から仏界へ降りられた方たちで、本来は神様です。 そして釈尊に伝えられた教えも神界の法(ノリ)でした。 これは神が乗っていかれるミチ(霊智)になります。 神はその道を真っ直ぐに乗っていかれる。 そして人間は惟神(かんながら)に生きようとか、弥栄えのミチ(霊智)に生きようと思えば、神の乗っていかれるそのミチ(霊智)に乗り合わさなければいけないのです。 多くの人々が神の法則を知り、生きていくということが大切なこととなります。 大乗・小乗というものを本当に掴もうと思えば、神の経綸・神の仕組みの置き手(掟)や神と仏の関係を知らなくてはいけないといわれています。

仏教経典を大きくわけたのが大乗教と小乗教ということになります。 【小乗教】 小乗教は釈迦五十年の説法のうち十二因縁、四諦の法門を中心とした教えです。 戒律中心の教義で、現実には実践できないものであり、かえって人間性否定に陥ってしまう恐れもあります。 これは釈迦が究極的なものとして説いたというより、権力や富、地位、名声等を追う当時の享楽主義的風潮を排して 人生の無常を教え、真実の生命の実体に迫ることを教え、仏法への眼を開くための教えであったとされています。 また、仏教では仏界の生命を顕現することが究極の理想ですが、小乗教においては二乗を中心に説かれており 仏界と衆生のあいだには深い断絶があって、仏界を目指す菩薩は小乗においては出現しません。 【大乗教】 大乗においては、煩悩を断じ滅して苦・空・無常・無我を脱しようとするのではなく、仏界という最高の境涯を 明らかにし、その人格建設への方途を示しています。 この大乗の教えこそ、小乗より一段と深い哲理であり、民衆の実践しうる修行を説いています。 「乗」とは衆生を悟りの境涯へ乗せて渡すという乗り物にたとえた語ですが、多くの人を救う大乗、一部分の人を 対象にした小乗という主張も、この教義を比較すればおのずと答えは見つかります。

◇上座→釈迦の教えを忠実に頑固に守っている、解脱(輪廻からの解放(極楽浄土じゃないよ))が目的。 ◆小乗→釈迦入滅後200年ごろインドで上座仏教から分かれていった部派仏教の宗派、今は残ってない。 ◇大乗→上記の小乗を非難して出来た。日本には500年頃中国から伝来。 釈迦入滅後600年頃に『般若経』『法華経』『華厳経』『唯摩経』などの初期大乗教典が完成 西暦200年頃竜樹の『中論』『十二門論』『解深密経』『如来蔵経』『涅槃経』などの教典が完成 400年頃世親の『唯識二十論』が書かれた。

大乗: おっきな乗り物を用意したのでさあみんな乗ってくださいね~ ほれ~彼岸へわたりまっせ~ 上座部(小乗): 船の漕ぎ方、波の様子、航路、万事よろし。 何人のろうがかまいません。船はしりつくしております故。 乗りたい方はのってくだされ。

*自利を求める部派仏教(小乗仏教) *利他を尊んだ大乗仏教 釈迦が亡くなって百年ほど経ち、ヴァイシャーリーで結集が開かれました。 この時。金銭の『布施』に対して、是とする進歩派の『大衆部』と否とする保守派の『上座部』が分裂し、教団が二分しました。 これを【根本分裂】といいます。 その後分裂が分裂をし20もの部派に分かれ、その様な状態が数百年続きました。 この時代を【部派仏教】といいます。 それぞれの部派は、王侯貴族や商人などの帰依を受け勢力を伸ばし、インド全体に席巻するほど広まりました。 そして経済的に潤った各部派は、象牙の塔を建てて篭もり、仏教哲学の構築に没頭しました。 それ故に、仏教と庶民の間を引き離す事となりました。 のちに、部派仏教各派を【小乗仏教】と呼んで反発し、衆生救済を旗印にする【大乗仏教】が興りました。 部派仏教の比丘(びく:僧)たちは、衆生を救うことを忘れて自分の悟りのみを追究しました。 これを【自利】といいます。 紀元前後頃に、この風潮に反発する勢力が生まれました。 大乗仏教は、釈迦の教えの要諦は【利他】にあると解釈し、他を利にすること、すなわち衆生済度(しゅうせいさいど)であるとし、部派仏教を批判しました。 話を少し戻り、部派仏教が華やかし時代の紀元前3世紀に、全インドを初めて統一した阿育王(あいくおう:アショーカ王)が、仏教を基づく政治を行ない、国民に政治理念を知らせ、仏塔を各地に建てました。 さらに、阿育王は海外伝道に力を入れ、北はアフガニスタンからネパール、南はスリランカやカンボジアまで仏教を広め、特に阿育王の息子のマヒンダがスリランカに伝えた【上座部仏教(部派仏教の保守派)】は、東南アジア各地に伝わり現在に至っています。 日本の宗教(日本文芸社)より参考。