ドレスデンは第二次大戦前まで、エルベ川のベニスと称された、中世の面影をたたえた美しい古都でした。大戦最終盤、ドイツの敗色が濃くなってきたとき、無防備都市宣言をして連合軍の攻撃を避けようとしています。実際、軍事的な観点から考えればドレスデンはたいした意味はなく、あえて破壊される必要のない都市でした。
ところが、イギリスとアメリカはドレスデンに猛烈な絨毯爆撃を行って徹底的に破壊しました。ドレスデン爆撃は第二次大戦中の最大の空襲と言われており、最大で15万人が亡くなったとも言われています。
ドレスデン空襲が行われたのは1945年2月13、14日であり、その時点ではすでに連合軍の勝利が確実となっていました。しかし、この大破壊、大殺戮はそれを承知で実行されました。
あえてこの時にドレスデンを空襲した理由は、東から押し寄せるソ連軍を牽制するためだったと言われていますが …。
この空襲が報道されると、「すでに戦争の帰趨は決しているではないか。無防備都市宣言をしているドレスデンを空襲したのはやりすぎではないか。これは国際法にも違反しているのではないのか」と、ドイツ軍の空襲で大きな被害を受けていたイギリス国内からさえも激しい批判が起きたほどです。
ドレスデン大空襲が国際世論の批判を浴びたことは、アメリカの対日戦略と無関係ではなかったと言われています。ドイツが降伏した後も日本は戦いを続けていますが、アメリカが原爆開発に成功したとき、京都を原爆投下の第一候補と考えていました。
しかし、ドレスデン大空襲で、破壊する必要がなかったドイツの貴重な歴史都市を破壊し、国際的に激しく批判されたことは、まだ日本と戦争中のアメリカの指導者層に影響を及ぼし、日本人の財産である京都を原爆投下候補から除外する一つの理由になったと言われています。
一方、東京大空襲は1945年3月10日で、10万人が亡くなりました。ちなみに3月10日は陸軍記念日で、めでたいはずの記念日に首都を丸焼きにされた陸軍は面目丸つぶれでした。