私はこの「めやも」は「ざらめやも」の間違いではないかと思います。つまり、訳詩者の誤りではないか。
「めやも」の「め」は推量の助動詞「む」の已然形「め」。「や」は反語の係助詞。「も」は詠嘆の係助詞。
合わせると、「…することがあろうか、いやそんなことはない」「どうして……などしようか」という意味になります。
つまり、「生き・めやも」は「生きようか、いや生きることはないよ」「どうして生きたりしようか」という意味になり、前の回答者が示した「普通の訳」と逆の意味になります。
万葉集巻一、21番「紫のにほへる妹を憎くあらば、人妻ゆゑに吾恋ひめやも」この歌を伊藤博は「紫草のように色美しくあでやかな妹(いも)よ、そなたが気に入らないのであったら、人妻と知りながら、私としてからがどうしてそなたに恋い焦がれたりしようか」と訳しています(角川文庫「新版万葉集一」47ページ)
正しく言えば、「生き・ざら・めやも」でないと「生きないだろうか、いや生きよう」「どうして生きないことがあろうか」という意味にはならないのです。
高校生の時、古典文法を習って以来、どうしても理解できなかったのが、この「生きめやも」です。
「生き・めやも」が正しいと言うなら、どなたか、文法的にきちんと説明してくださる方はいませんか。
「風立ちぬ」の「立つ」はタ行四段活用動詞「立つ」の連用形で、「風立つ」は風が吹き出す意。「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形です。つまり、「風が吹き出した」。
風立ちぬ。いざ、生きざらめやも。(風が吹き始めた。さあ、どうして生きてみないってことがあろうか。)