私もこのことについては昔から気になってました。 軟膏や粉薬じゃ意味がないことわざなのに、かなり古い文献にも似たような記述がある。 考えられるのは黒田如水の先祖が商っていたというメグスリノキなんですが、これは洗顔液で点眼薬ではない。
幕末のポンペ先生が1867年に弟子に伝えて大当たりしたという「精奇水」か?でもこれも軟膏らしい。
後の参天製薬になる田口參天堂が最初の点眼薬を売り出したのは、1899年の事なんです。
通常のQAは結局よくわからないので、このことわざ自体が新しいものなんじゃないかという結論でした。
しかし、ここでこだわりの人のサイトを発見できました。ことわざ研究者(ことわざ学会代表理事)北村孝一氏の「ことわざ酒房」です。
氏は例のトリビア番組で当時は「軟膏の塗り薬」で、二階から目薬は「無理な相談です」「ことわざの意味も出来ないこと、してみても無駄なこと」だという説を聞き、釈然としない気分を抱いていました。 彼は江戸後期に大田全斎(1759-1829)が、このことわざを「迂遠ノ喩ナリ」としていることを知っていたのです。
その後正式な薬でない売薬の歴史を調べた氏は、江戸中期に京都の井上清兵衛が売り出した目薬が流行性の眼病に効き、評判になったという記述を発見しました(鈴木昶『江戸の医療風俗事典』)。平賀源内が激賞したといわれるこの薬は、巾着状の紅絹に包まれ、蛤に入れて売られたという。炉甘石の微粉末を主とし、梅肉、竜脳、蜂蜜、氷砂糖などを配合したものというから、一種の軟膏だろうが、直接目につけるわけではない。盃などの水に紅絹ごと浸して、その浸出液を用いるとのこと。 氏は蛤を用いて目薬をさしている図が目に浮かび、その絵を探して遂に「いろはたとへ智恵の字廻」(大阪府立中之島図書館所蔵)のなかにそれを発見したのです。
その後、氏は参天製薬のHPで、江戸時代に神社仏閣で売られていた軟膏状の目薬も、布で包んで水に浸し、洗眼したり、点眼したという説明も目にし、確信を深めました。 氏の結論として、「江戸時代の目薬は軟膏であった」というのは、よいとしても、「これを水に浸し、浸出液で点眼することもよく行われた」と付け加えるべきであろう、としています。