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二次元の女の子を崇拝する男性をどう思いますか?その心理を知りたいです。 掴めない幻想を追い掛けてる自分に酔ってるんでしょうか?

補足

批判する気持ちは全くないです。ただ純粋にアニメを好きな人のその心理を知りたかっただけです。 制作者に作られたアニメのキャラクターに実際の恋愛感情と同じ感情を持つ事が理解できなくて。 そのキャラクターは自分を決して否定しない事を勘案すると,もしかしたら恋愛に傷つきたくない人が三次元の女の子を好きになるのかなと勝手な思い込みもありました…申し訳ありません。現実の女の子は手厳しいですからね。

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ベストアンサー

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2011/12/4 21:08(編集あり)

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆さん,回答ありがとうございました。

お礼日時:2011/12/6 23:00

その他の回答(2件)

まず、架空キャラへの恋愛感情というのは、当然、本来の「恋愛」とは まるで別。それは、「双方向」という大前提のはずの恋愛関係、対人 関係性、といった物とは違い、ひたすらひたすら自らの抱く感情だけ で完結してしまう。つまり架空のキャラへの疑似恋愛とは、“レンアイ” とは名ばかり。実態は自意識の充足であり、変形した「自己愛」だと 言えるのです。 ご指摘通り、 >>キャラクターは自分を決して否定しない わけですから、こちらでいくらでも入れあげられて、それが届かないとか 受け入れられないとか言う事は決して無い。「相手」のいない以上、現実 には人形かモノに向かって話しかけているのと一緒の、「独り遊び」です。 が、当人はそれを「独り遊び」とはみなしていない。あの手のキャラ クターというのは、人物造形としては単純化された「記号」でしかあり ませんが、記号ではあっても一見、「感情」とか「性格」とかいった モノを持たされているかのように見える。いわば一種の「鏡」です。 一方的な感情をぶつけても、一応こちら側へ「向こう側」から返って 来るかの様な気分になれるのです。そのせいで、「自分のやっている事 が『一人芝居』だ」という自らのありさまを、無かった事に出来る。 知ってて必死に無視しているか、本気で気づいていないかはともかく。 そうした虚構の“他人”に入れ上げるという営みは、ご指摘の通り >>自分に酔ってる といった部分も含めての、「自己確認」です。特に、ことキャラクター への疑似レンアイといった振る舞いに於いては、それは「自画自賛」と 言っても良い。“相手”の側など一切考慮しなくても、ひたすらひたすら 自分の感情だけを思うままにぶつけて良いのですから、キャラへの疑似 レンアイというのは、つまりは「自分はこれだけ入れ上げているのだ」 「自分はこんなにも“努力”しているのだ」という、一方的な達成感、 ひいては自己肯定です。そしてそれは自動的に、「こんなに努力している オレ様は、それを必ず首肯されて当然だ」「これほどに苦労をしている オレ様ちゃんは、絶対にそれを承認されるべきだ」といった、身勝手な 自己被承認に直結します。つまり、“架空のキャラ”という“鏡”に反射させる 事で、自ら発した自画自賛を自分自身に還流させている、と言い換えても 良いのです。 その“鏡”は、しかし上記の通り、記号ではあっても「他者」だか「人物」 だかいう体裁を整えてはいます。だから当事者的には、それは「相手に 向かっての行為」という事になる。つまり、「虚空に向かって自画自賛 している」という実態を、糊塗出来るのです。 なので、ご疑念の様な >>恋愛に傷つきたくない人が三(←二ですね?文脈から行くと)次元の女の子 >>を好きになる といった面もさることながら、これはむしろ「自己愛」の変形であり、 「恋愛の代用」というより、自己承認とか自己尊厳と言った「自己肯定感」 を求めてだと思います。自分のドリョクだかクロウだかを、した分だけ確実 に「見返り」を得る事が絶対保証されている…なんて、現実ではまず無い でしょうから。 こうした事が蔓延しているのは、要はそれが簡単・確実に自意識を満た してくれる絶対保証付きの「手口」だからです。現実の恋愛を恐れる とか裏切られたとか面倒くさがるとかいうのもあるでしょうが、その 根底は「お手軽お気楽、確実な“自己肯定感”への渇望」です。それを、 疑似レンアイという、下半身(下品ですいません)方面の、最も“摂取” がラクで苦労のいらない、しかも絶対に失敗無く手に出来る、という のが、この手の「キャラへの疑似恋愛」の広まった理由。何の人間的 努力も社会的苦労もいらず、口当たり良く作られたキャラで下半身を キモチヨく(何度もすいません・汗)するだけで、仕損じは絶対無く、 みるみる自己肯定感を得られて自意識を満たせる…こんなラクな手は 無い。 この手の界隈で、高頻度で「○○はオレの嫁、他はゴミwwwww」だの、 「○○>>>>>>>>他wwwww」とかいった、下品な言が出ます。 これもつまり、入れ上げた対象の優劣にかこつけた「自画自賛」です。 自己賛美を、キャラというバイパス路で“ロンダリング”しているとも 言える。 そしてもっと言えば、現実の恋愛だって、「相互性」というより、むしろ 「互いに幻想を見合う」という形での自己肯定を求めて、といった局面 は、どうしてもあると思います。それを高度に止揚し合えれば、理想の 恋愛になりうるのでしょうが、互いに互いを「自己肯定の具」として 求め合う様な恋愛、というのも、現実にはやはりあるかと。二次元の 疑似レンアイは、そうしたインスタントさのさらに「インスタントな 代用品」かも知れません。

崇拝って神様扱いしてるわけじゃないでしょ アイドルグループを追いかけてるようなものじゃないかな 三次元と付き合うとお金がやたらかかるし 何より自分の時間が割かれ面倒臭い 恋愛の代用品としてはお金も時間も悩みもなくて楽だよね 三次元に絶望っていうのもあるんだろうけど、恋愛ごときでそこまで神経使いたくないっていうのが大部分なのでは? 草食系と人と括りにしたくはないけれど、昔のように恋愛は絶対しなくてはいけないものっていう価値観は今はないでしょう