「なかった派」の特徴は日本軍サイドの資料すら無視することです。天皇の弟である三笠宮(当時陸軍大尉で参謀)まで無知にしてしまう。南京大虐殺は中国に教えてもらわなくても日本軍自体が認めています。攻略軍の師団長や兵士、陸軍省の高官、陸軍の大将たちですら認めています。それが「戦時下ではどの国の軍隊にもあった」程度のことだったらわざわざ言いませんよ。そういう事すら平和ボケの日本人には分からなくなっている様ですね。
陸軍省人事局長の阿南少将(のち大将、陸軍大臣)南京視察メモ。
「中島師団、婦人方面(注:強姦の事)、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり」
南京攻略軍総司令官・松井石根大将の談話。
「南京事件はお恥しい限りです、私は日露戦争の時、大尉として従軍したがその当時の師団長と今度の師団長を比べると問題にならんほど悪いですね。私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った、ところが、このあとで皆が笑った。甚だしいのは、ある師団長の如きは『当り前ですよ』とさえ言った」
岡村寧次大将のコメント
「宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次の通りであった。
一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
真崎甚三郎大将の日記:
「十一時江藤君来訪、北支及上海方面の視察談を聞く、主なる責任者の談を交へて研究せり。従って同君の意見は相当に権威あるものと云はざるべからず。之によれば一言にして言わば軍紀・風紀頽廃し、、、強盗、強姦、掠奪、聞くに忍びざるものありたり」
南京大虐殺事件の中心人物・中島今朝吾第十六師団長の日記:
「佐々木部隊だけにて処理せしもの約一万五千、太平門に於ける守備の一中隊長が処理せしもの約一三○○、、、」「大体捕虜はせぬ方針なれば片端よりこれを片付けることとなし」(日本語が分かれば「処理」「片付ける」が何の事か分かるはず。そして捕虜を殺すのは国際法違反)
第十六師団 歩兵第30旅団長・佐々木到一少将の日記:
「俘虜続々投降し来たり数千に達す。激昂せる兵は上官の制止を聞かばこそ、片はしより殺戮する」
第十軍国崎支隊歩兵第十四連隊の宮下光盛一等兵の従軍日記:
「我が柳川兵団は①民家を発見したら全部焼却する事。②老若男女を問わずシナ人を見たら殺せ、という命令を受けた」
第104師団機関銃部隊の田所耕三一等兵の話。
「捕まえた連中を十人くらいずつ束にして井桁に積み上げて油をかけて燃やしちゃった。『俵縛り』と言ったな。豚を殺すのと同じ気持ちだった。機銃掃射で殺すのもやった、しかし女が一番の被害者だったな。年寄りから何から全部やっちまった。トラックで部落へ乗りつけ、女どもを略奪して兵隊に分ける。十五人か二十人に女ひとり」「見せしめの為に捕虜を傷つける事もやった。耳を削ぎとる。鼻をけずる。目の中へ帯剣を横にしてつっこむ、、、こんな事でもやらないとほかに楽しみがない」
日本陸軍大十軍嘱託カメラマン河野公輝の話。
「銃剣で刺すなんて生易しいものではなく、棍棒でぶっ殺す。男も女も区別はなかった。バクッと叩くと血がぶあーっと噴き出してね、、、蘇州の女というのがまたきれいでね。兵隊は手当たり次第に強姦して、やったあとは殺していたな」
陸軍飛行第八大隊・井出純二軍曹の手記:
「いよいよ処刑が始まった、捕虜はおとなしく座り込んでいる。それを次々に斬って死体を水面(注:揚子江)にけり落としている、三十分近く見物したあとで胸が悪くなった」