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弁証法?

哲学、倫理175,821閲覧xmlns="http://www.w3.org/2000/svg">25

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弁証法とは、確かに、何人かの方が、その名前を使ったので、一概に答えることは出来ないのですが、 哲学で弁証法と言えば、一般的にはヘーゲルを指しますので、 ヘーゲルの弁証法を説明します。 ここに物体Xがあります。これを「リンゴ」と名付けます。しかしXは、ミカンとも名付けられたはずです。 つまり物体Xは、「リンゴ」でもあり「ミカン」でもあるわけです。これは単なる呼び名の話ですが、 別の例で言うと「赤」にしても、赤い車、赤い夕焼けと異なるし、同じ「人間」でも皆、別人です。 この様に「Aは、Aではなく、非Aでもある」というのが主張です。 つまり私達は同じ人間であると同時に、個々人でもあるというのです。 難しいので、もう少し例を挙げます。 物体Xは、どんな名前も付ける事ができますよね。リンゴでもいいし、ミカンでもいい。 では、ここに赤があります。これは物によって、「赤い車」「赤い夕日」だったりします。 次に人を考えて見ます。貴方は人ですよね。でも貴方自身でもありますよね。 つまり貴方は、貴方であり、人(非貴方)でもあるわけです。 赤は、赤であり、非赤(赤い車、赤い夕日)でもあるのです。 続けます そして人間(客観)と個々人(主観)の矛盾は、合わさる必要があります。 (上の例では、貴方と人を、合わせるということ) それは主観と客観の同一性です。有名な正・反・合です。 これが弁証法ですが、よくある間違いで、“合”が次の“正”にはなりません。 導かれた合という答えが、先の人間の話で「存在」だったとすると、「存在」を正にして、反を主張し、合を導く事は出来ません。なぜなら合が正に格下げするからです。 しかしながら、ヘーゲル自身は著書の中で格下げをしており、現在の学者は、これを誤りと指摘しています。 これも難しいので、例を挙げます 花は、花自身を否定して、実になると考えられます。何故なら… 花(A)は、花でないもの(非A)でもあります。というのも、花が花でしかなかったら、永遠に“花”のままだからです。 花は、今の状態を保持するのでなく、枯れたり、実になったりしますね。 どうして枯れたり、実になったりするのでしょうか? それは生物学的な理由があるのでしょうが、とりあえず何か原因がありますよね。 それをヘーゲルは、非花(花自身の否定)と呼んだわけです。 つまり花は、花でもあるし、非花でもあります。 この非花(花自身の否定)があるから、花と合わせて(正・反→合の“合”ですよ)、実になれるわけです。 この様な考えを、弁証法と呼びます。 なお蛇足ですが、ヘーゲル弁証法の結論は、次のようになります。 弁証法の最終結論は、存在の根源(別名で世界・神と呼ばれるもの)が、絶対無である事を証明するものです。 例えば私達が世界について知ろうとしても(正)、知らない一部分が既知になるだけです。 これは、まだ知られない世界がある(反)事を意味しており、この知らない世界がある(世界が絶対無である)事に気付くこと(合)が弁証法の結論です。 これも例を挙げますと 「花は、花自身を否定して、実になる」  ↓ 「世界を知る事は、まだ知らない世界を否定して、新しい世界(知らなかった世界)を知る事になる」 という考えです。 この「まだ知らない世界」がある事に気付く事が、存在の根源(神)だとしたのが、 最も高次の結論である「神」を知る事が、最終結論とされます。

弁証法 (べんしょうほう、ギリシア語διαλεκτική、英語dialectic) とは、哲学の用語で、現代において普通にいわれるときには、ほとんどがヘーゲルやマルクスの弁証法を意味し、世界や事物の変化や発展の過程を本質的に理解するための方法、法則とされる(ヘーゲルなどにおいては、弁証法は現実の内容そのものの発展のありかたである)。しかし、この言葉を使う哲学者によって、その内容は多岐にわたっており、弁証法=ヘーゲル・マルクスとして全てを理解しようとするのは誤りである。(ウィキペディアより) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95 上記サイトにあるように、弁証法と言ってもさまざまな形態があります。弁証法についてはたくさんの書籍があるので、掘り下げて理解したい場合はそれらの文献を参照してください。