地域の違いでも表記の仕方でもありません。音声現象です。
この現象を、言語学では、母音調和といいます。単語の語幹の母音と語尾の母音が呼応する現象です。
奈良時代に日本語に母音調和があったのは知られていますが、現代大阪方言に母音調和がある事実は、国語学者でも知らない人が多いのです。
大阪方言では、
「できる」の否定形は、「できひん」「でけへん」のとちらも正しいです。(京都では、正しい形は「できへん」「できやへん」となって母音調和しません。最近は大阪の形も進出してはいますが)
しかし、このように両形可能なのは「できる」だけで、その他の上一段動詞は、「ひん」になるのが普通です。たとえば、
「おちる」「おちひん」。(「おてへん、おちぇへん」は×)
「きる(着る)」「きいひん」。(「けえへん」は「来ない」の意味)。
「おりる」「おりひん」。(「おれへん」は「いない」「折れない」の意味)。
「あびる」「あびひん」。(「あべへん」×)。
「のびる」「のびひん」。(「のべへん」は「述べない」の意味)。
「いきる」「いきひん」。(「いけへん」は「行かない」「(花を)生けない」の意味)。
完全に両形可能なのは「できる」だけなんですが、なんとか両形使えるのとしては、
「みる」「みいひん/めえへん」
も聞くことはあります。これも「ひん」の形のほうがなめらかに聞こえます。
ついでに、母音調和の本家であるトルコ語の例を出すと、
トルコ語の複数の接尾辞(日本語の「~たち」)は、-lar/-ler の2つの形があり、
ev「家」の複数形は evler, at「馬」の複数形は atlar となって、名詞の母音に応じて -lar/-ler を使いわけます。
この現象が、上の ikiru - ikihin, ikeru - ikehen の -hen/-hin の使い分けと同じ現象であるというわけです。
補足します。
なぜ「できる」だけこの両形があるかというと、短い否定形に「できん」「でけん」の両形がある(「いきる」「おきる」には「いきん」「おきん」の形しかない)ことからわかるように、もともとの形に「できる」と「でける」の両方があるのです。「でける」は「できる」より泥臭い大阪弁の感じがします。「でける」は、落語なんかでも使われているし、標準語の影響がなかった明治以前にはもっと使われていたはずです。「ご飯でけたでー」とか。
「でける」自体が母音調和によって、「き」の母音 i が前後に同化して e になったものです。