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「~して行きたい」「~して行きたいと思う」など。 例えば不祥事を謝罪するときに「今後このようなことの無いように気を引き締めて行きたい」と気を引き締めるのではなく

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

重々、詳しい回答をいただき有り難う御座います。 私自身もこのような曖昧な表現を慎んで「行けたらなと思います」有り難う御座いました。 ということで「行けたらな」についても質問しますのでよろしくお願いします。 有り難う御座いました。

お礼日時:2014/7/9 2:39

その他の回答(3件)

責任を負いたくないからでしょう。「やると言ったじゃないか」と言われても,「やりたいと思う,と言っただけで,今も努力はしています」と逃げられますから。 私も「~したいと思う」という言い方は,聞くたびイラッとします。(;^^)

「~していく」 の いく は 補助動詞です。補助動詞は かなで 書きます。 将来にわたっての継続を表す。私のホームページを。 「~たい と 思います」は、まあ、決まり文句のような もので、「~たい(です)」と決めるより言い方が柔らかくなるね。

政治家のように 公式発言の多い人などは、普通、なるべく曖昧な言葉を使って 断言しないのが 彼等の話法となっておりますが、これは 反論を受けたとき、出来るだけ 言い訳の可能性を広く保つための戦略的話法とでも言えましょうか。これを一般の人々も 無意識のうちに取り入れ、なるべく断言しないでおこうとする。現代は特に、出来ることなら矢面に立たないでおこうとする“ことなかれ主義”の人が多い時代です。矢面に立ちたくない ことなかれ主義にとっては、政治家の答弁に見られる 断言しないファジー表現が一番共鳴できるものなのでしょう。だから ことさら 訳のわからない敬語を多用し、断言しないで「~と思います」などと逃げ道完備の表現を弄するのです。 つまるところ これは 他とのインパクトを嫌い、当たり障りのない環境を持ちたいと望む 現代人の優柔不断と人間不信が招いた 一種のニヒリズムなんでしょうね。