よく言われるのは勤勉さ、生真面目さなどですね。特によく似ているのは日本の東北の人々かもしれません。寡黙で、おしゃべりな人は少ない、という点でも似ているようです。日本とドイツの都会人はどちらかというと似ていない面がかなりあり、地方の人、つまり田舎出身の人に共通点が多いのではないでしょうか。
よく似ているといわれるようになった原因は歴史的に国家体制が似ていたからだと思います。日本もドイツも、昔は細かく分割とされた地方分権の国でした。さらに農業がさかんな国でもありました。住んでいる場所からあまり離れることはない。通婚圏も狭かった、これは結婚する相手が、同地域の人が非常に多い、ということです。
日本は藩(封建領主である大名が支配する領域)の制度が発達し、農民や町民は藩の外にほとんど出ることなく一生を過ごしました。ドイツも同様に封建領主が、それぞれ各地方を支配し、日本ほど規制は強くありませんでしたが、やはり定住した地域から離れることは少なかった。
そうした似た条件の中で、どちらの国の農民も、毎日農作業に従事し、年に何度かあるお祭りを楽しみにして暮らしていました。さらに、他地域との交流が少なかったので、同じ地域に住む人々は価値観を共有し、意見の対立はそれほど多くなかった。ですから、論争なども少なく、同じ地域に住む人は、ほんの一言二言で意思を伝えることができます。職業も世襲が当たり前で、親の職業を継ぐ人がほとんどでした。農民が商人や職人になることは非常に少なかった。
同じヨーロッパでも中央集権の国は違います。同じ地域に閉じこもって生活する人も中にはいましたが、国の中であれば簡単に移動することができます。通婚圏も非常に広い、多様な価値観が共存していますから意見の対立が生じやすい。またライフスタイルも、農業・商業・職人と、一人の人が転職することも多かった。対立したとき、黙っていれば、相手に負かされてしまいますから寡黙では生きていけません。
地方分権の体制を続けてきた国に、イギリスやイタリアがあります。イギリスは大英帝国となって植民地を持っていて、植民地経営のためには人の移動が不可欠でした。日本もドイツも、植民地を持った歴史はそれほど長くない、という点でも似ています。またイタリアは、ルネサンス以来、各都市国家を点々とする人が多かった、という別の事情があります。オーストリアはウィーンという大きな都市を中心として成り立った国ですから、やはり事情が異なり、スイスは山岳地帯という特有な気象風土の生活環境から生まれた国です。
国民性は長い歴史の中ではぐくまれるものですから、封建時代を通じてドイツ人と日本人が同じような国家体制、社会制度で暮らしてきたことを考えると、似ているのは当然かもしれません。そして、その後、ともに敗戦を経験しています。
このような共通する昔からの歴史から、日本人とドイツ人がよく似た国民性を持つようになったのでしょう。ですから、似ているのは気質(きしつ)、つまり言動や行動の性向ではないかと思います。勤勉さ、生真面目さ、寡黙、などさまざまな気質に共通項が生まれたのではないでしょうか。
蛇足:ただ一点、日本人とドイツ人との大きな違いを見逃すことはできません。ドイツ人は日本人と比べ、強固な自我が確立しているという点です。宗教的な側面もあると思います。ですが、自我が確立していながら、多くの国民がヒトラーに熱狂し心酔してしまったのも事実です。結果的には、そのような面でも似ていると言うこともできますが。