その前から人気のあった、ハワイ、サイパン、グアムを除くと、アメリカ西海岸というのが、ある意味もっとも人気があって、且つ憧れの場所でした。ヨーロッパはまだ手が届かないし、東西冷戦の影響で時間がかかるので、(ロシアの上を飛行機が飛んではいけないので、アンカレッジ経由北極を通って行く必要があった)訪れる人は多くありませんでした。
アメリカは戦後からずっと憧れで、音楽(ジャズ、ロカビリー、ロック、ポップス)もファッション(アイビー、アメリカントラッド、サーファー)も、流行はすべてアメリカから来たと言っても過言では無いほどでした。
1970年代後半になり、伝説のPOPEYEが76年に発刊され、アメリカの日常生活やファッションを紹介することで飛ぶように売れ、その前後にNHKが刑事コロンボ(ロスアンゼルスが舞台)を放映し、アメリカへのあこがれはどんどん膨らんでいきました。
そして1985年のプラザ合意で、大幅なドル安円高になると、日本は一気に海外旅行ブームになり、憧れだったアメリカ、特に西海岸に、日本人が大挙して押し寄せるようになりました。サンフランシスコの坂道のケーブルカーも、日本人ツアー用の車両があったり、フィッシャーマンズワーフにも日本語の看板が多く出されていました。
新婚旅行の人気でもNo.1だったと思います。(実際に行ったのはハワイやグアムでしたが)
当時はアメリカでも第一次の寿司ブームで、カリフォルニアロールや、魚をあまり食べなかったアメリカ人に最も馴染みのある魚であるサーモンのお寿司が、大挙して訪れた観光客のおかげで、日本に逆輸入されました。(天然の鮭には寄生虫がいるので、江戸前ずしのネタに鮭は無かった)
80年代は、韓国や台湾も人気でしたが、これは主にビジネス(当時日本では、生産拠点を韓国や台湾に求める傾向が強かった)で、更に夜の〇〇が目的でした。