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” 説教強盗 ” とは、どういう人のコトを言うのですか? すいません、教えてください。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答してくださり、ありがとうございました。とても参考になりました。

お礼日時:2008/7/12 23:56

その他の回答(1件)

http://homepage1.nifty.com/zpe60314/ashowafukyo6.htm 説教強盗 東京の街を、大正15年から昭和4年にかけて、一人の怪盗が跳梁した。名づけて説教強盗。 彼の自白によると、こういう調子であった。 「私は夫人の枕下に行くと、懐中電灯の光を彼女の顔にあてながら、『モシ、モシ』と、静かに片手で揺り起こしました。 婦人は眼をあけると同時に、顔が極度の驚愕のため歪みました。『静かにしてください』と、私はおだやかに、そして 努めて底力をもたせた声で、『お騒ぎになると、おたがい、ためになりませんからね』 黒い風呂敷で覆面していましたが、少しも顔を見せないようにゆうゆう煙草を吹かしながら、『お宅は戸締りはよくできて いますが、ガラス戸だけは不用心ですよ。鉄の棒をお入れになった方がいいです。それから、ぜひ犬をお飼いなさい』などと いいました。」 この説教強盗の犯行は、四年間に113回、時の議会の問題にもなった。 新聞社でも、独自の捜査、取材を開始。朝日新聞は、逮捕者に金一千円 (いまなら五百万円) を提供するという騒ぎ だつた。 こんな時、「真犯人を知っている」と、報知新聞に一人の男が現れた。当局は慎重に傍証をかため、昭和4年1月23日未明 練馬街道を車を飛ばし、犯人の自宅を急襲、身柄を富坂署に連行した。 ところが、意外にも、容疑者は犯人ではなかった。 報知は担当者などを辞任させ、容疑者に慰謝料を払い、陳謝の社告をなすはめとなった。 このような事件で、犯人が捕まらなかったのは、犯人妻木松吉が、身軽さと、用意周到の準備と巧妙な手口によるものだった。 妻木松吉が逮捕されたのは、昭和4年2月22日で、上板橋の商店に入った際に、何かの拍子に手に白い米の粉をつけたらしく これがガラス戸に付着、この指紋が、司法省の台帳にある約5万の指紋を調べて、ついに逮捕となった。