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ID非表示さん
2009/5/22 18:32
「うつけ」=からっぽ という意味ですが、転じて愚か者や暗愚、奇矯な振る舞いをする者となります。 「信長公記」には、とても人前に出られないような服装をしたり、歩き方もだらしなく、栗や柿を歩きながら食い、それも人の肩に寄りかかって歩いたしたと記されています。また、父・信秀の葬儀の時も異様ないでたちをして現れ、抹香を位牌にたたきつけて立ち去るなど奇矯な振る舞いを行いました。その頃はまだ礼儀正しさを求められているときですので、周囲は「大うつけ」としかいわなかったということです。 当時の信長は18歳。葬儀での奇行を「若気の至り」と見ることもできますが、家中の敵と味方を区別する「大胆な策」と読むこともできます。これらの奇行は信長の他人の目をくらますための演技という見方もできますが、実際は演技ではなく、信長のありのままの姿であったと思われます。信長は那古野城において気ままに育てられていたので、したいことをしていただけであり、心に鬱屈があればそれをどこかに吐き出そうとしていたのではないでしょうか。 また天文17年(1548)の頃、信長の周囲はすべて敵であり、妻さえ外敵の娘であることから、不愉快な毎日があったため、鬱屈が昂じるようになったといわれます。信長に「大うつけ」、つまり愚か者の形容がかぶせられるのもこの頃だといわれています。
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お礼日時:2009/5/28 20:57