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僕の行ってる幽霊教会の牧師は元浄土真宗です。それで浄土真宗からキリスト教に改宗した先輩牧師の自伝を集め研究しています。 その結果、元僧侶は異口同音に基仏混合の新宗教を始めようかと一度ならず考えているそうです。仏教は定まった経典がないから自由なんだそうです。役に立つ教えを取り込んで混合宗教を始めたのが空海であり比叡山の最澄で、法然同様に親鸞が先輩を真似てパクッタとしてもおかしくないとも言います。それに戦前の国家神道の元となった平田篤胤の復古神道もカトリックのパクリだそうです。 日本はパクリ宗教の伝統が息づいている国みたいですね。 参考に「日本・ユダヤ封印の古代史2[仏教・景教編]」(著者:久保有政、ケン・ジョセフ、徳間書店)という本からちょっと引用します。 ----- 京都、西本願寺には、親鸞上人も学んだという景教の、『世尊布施論』があります。現在は公開はしていませんが、宝物として保管されています。親鸞上人も、景教の書物を読んでいたのです。この『世尊』とはシャカではなく、イエスのことです。 これは中国で、七世紀に景教徒によって漢語に訳された景教の経典です。それが日本にも持ち込まれていました。内容は、イエスの「山上の垂訓」(マタイの福音書五~七章)等に関するものです。その冒頭の部分を少し現代語訳してみましょう。 「世尊(宇宙の主、イエス)はこう言われた。人に施しをするのであれば、施しをする前に、まず神にそれを捧げ、それからそれを人に捧げなさい。あなたの左手がする施しを、右手に知らせないようにしなさい。あなたの礼拝が、人に見せるためであったり、人に聞かせるためであったりしないように気をつけなさい。…・・ あなたに罪を犯している人がいるなら、その罪をあなたが赦すなら、聖なる方も、あなたの罪を赦して下さいます。…・・あなたの宝を地上にたくわえるのはやめなさい。殺人や強盗に略奪されたり、きず物になったりしてしまいます。あなたの宝は天国にたくわえなさい。そこではこわされることも、失われることもありません。…・・」 『世尊布施論』はその後、アダムの創造と堕落、イエスの降誕、生涯、教え、さらに基督教的救い等についても述べていきます。こうした『世尊布施論』を、親鸞が何時間もかけて学んだということは、興味深いことです。
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ぱくってるでしょうね 日本に来るまでにいろいろな宗教を吸収していって 仏教でなくなった 仏教ですから
古代エジプトでは、ト-ト神(頭が鳥で、体が人間の姿)が、西の方の楽園から来た神様で、アモンの神(頭が牡牛で、体が人間の姿)が、農耕の神様です。エジプトで、この2神は、同じ神殿に祠られていました。この2神が、混同され、アモンの神様が西の方の楽園から来た神様として、インドに伝わり、『西方浄土の主、阿彌陀如来』の元になりました。インドに伝わった時点で、既に混同されていました。 阿彌陀如来と同義の無量寿(無限=永遠の命)、無量光(無限=永遠の光)は、「イエス・キリストは、永遠の光、永遠の命」から来たと、考えられます。 阿彌陀様は、ある国の国王でしたが、『世自在王仏』の許で、人類救済の為に、国、王位を捨て、法蔵と名乗る修行者になり、本願を成就し、阿彌陀如来と成った。 イエス・キリストは、『私は、有って在る者=ヤハウェ』たる父なる創造神の許で、人類救済の為に、十字架上で人々の罪の生贄になり、処刑された。 共に、阿彌陀様、イエス様を信じる人々は、救われるとされ、他力本願です。 『チベットの死者の書』では、死後、4日目と11日目に、『バガヴァ-ン・アミタ-バ(=阿彌陀仏)が、迎えに来て、『幸福の西方国土』へ導くと、そして、それは、非常に輝かしく眩しい光であるとも、記述されています。 尚、無量光明土=極楽浄土です。 他方、仏教の開祖、お釈迦様は、自身の死後、自身の葬儀を行う事も、仏弟子達が、その葬儀に参加する事も、禁止されました。そして、教えの中心は、「全ては、絶対では無く、無常であり、誰でも、生老病死がある」と!人生論です。 なので、浄土真宗(浄土宗も含めた阿彌陀如来信仰)は、キリスト教のパクリでは無く、古代エジプトの神話と、キリスト教が、合体し、仏教化された教えであると言えます。 日本へ仏教が伝わった当時、または、浄土真宗が登場した.見真大師親鸞師が生きた当時に、インド&エジプト神話を調査していませんし、できませんでした。でも、現在は、古代オリエント史&比較宗教学の立場で、世界中の宗教&神話を見て、確認する事が、できます。正確には、仏教は、お釈迦様が開祖ですが、元の神話が、インド由来であるとは、断定できないのです。名称も、アモンの神様→アミタ-バ→阿彌陀仏!と、変わり、西の方の楽園→西方浄土となりました。
そういう研究は真面目にあります。しかし、「シンデレラ」に似た昔話が世界中にあるのを「伝播」では完全には説明できないように、似た内容の宗教に就いても同じことが言えるはずです。むしろ、人間の救済や真理に関しての探究が、同じような結果に導かれたとするのが妥当だと思います。
ID非公開さん
2010/1/29 0:26