つまり、そういった「恣意」「不自然」を、「不自然」だと感じさせない
だけの「説得力」といったものが盛り込まれた作風なら、誰も何も言わない
わけです。ああ、見るからに強そうなキャラだ、おおコイツの怒りと闘志
には、さしものラスボスもやはり敵わなかったのだなぁ、うんうんヤツ
だったら、やっぱりこういう結果になるよなぁ…とかいう風に、ノせて
欲しいのです。どうせ補正のある出来レースと知っているその上で良い
ので、上手いこと作り手にダマされて盛り上がりたいのです。
架空のキャラとは言え、そこには「存在感」「厚み」といった物が宿ります。
フィクション内で例え非現実的な事をしでかしても、「コイツだったらまぁ
良いか」と、観客が認めてくれるだけの…そう、「人徳」とでもいうべき物
が備わっていれば、多少の「不自然」「恣意」なんて気にならなくなるの
です。
そしてそれは、単に「能力者です」「生まれつきです」「才能です」なんて
いう口先だけの設定や、その場限りのウケ狙い描写だけでは、決して作品に
もたらされない。作品全体の中にあって、キャラクターとその織りなす
ストーリーや出来事、演出や描写といったものが有機的に絡み合って編み
上がってこそ、架空の人物にもそうした目に直接は見えない「人徳」とか
「厚み」とかいった物が宿る。いわば作り手の、その場の小手先だけでは
無い、「全人的なワザ」が求められる、と言っても良い。
それをせずに、ただただ「主人公ですから」「生まれつき最強のコーディ
ネーターですから」「一方で通行ですから」なんて形で、そのキャラ自身
の「人徳」とか「人望」と言った生き生きした人物と作品構成の造形を
しないまま、「強い」「最強」なんていくら口先三寸だけでまくし立て
られても、観る方は白けるだけです。
それは言い換えれば、作り手の「手抜き」そのものです。観る方はせっかく
「どんなスゴい大ウソで丸め込んでくれるだろう」とワクワクして待ち構えて
いるというのに、そういう手練手管を全く使わずただ単に「主人公です」
「生まれつきです」「そういう事になっているんです」といった「逃げ」
でもって作り手が「ラク」してたら、そりゃ辛く当たって当然かと。
剣闘士とライオンの命がけの戦いを見に来たと言うのに、剣闘士の背後
には安全に逃走出来る「逃げ道」がぽっかりと開いています、なんて事では
カネ返せと言いたくもなります。主人公補正と言う「決まり」を承知の上で、
それを「主人公ですから」なんていう“逃げ道”を使わず、どうにか説得力
ある形で描破し切って観客に提示して欲しいのです。鮮やかな手ワザでも、
強引な力ワザでも良い、とにかく観客は作り手から鮮やかに気持ち良く
ダマしてもらいたいのです。作り手に向かって「やられた!お前は真の
強敵(とも)だ!」と言いたいのです。「強敵(とも)」がズルして「主人公
ですから」なんていう“凶器”を使ってラクして勝とうとしたら、怒って
当たり前でしょう。