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伝説のボクサー大場政夫さんの現役時代の勇士をご存知の方に 当時の大場政夫チャンピオンは現在の亀田3兄弟の様な感じのボクサーでしたか?

補足

大変失礼しました。 大場さんってさすが伝説のボクサーって言われるだけの事はあるんですね。 私はそんな凄い人の試合を観たかった。 亀田③兄弟もそれなりには頑張ってるのでしょうけど。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

皆様ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/18 12:23

その他の回答(5件)

アモレス戦を知ってる方がいて嬉しいなぁ(^。^)やはり大場の名勝負と言えば大場VSアモレス戦ですね。アモレスのスピードと嵐のようなパンチには大場の勝ち目は無いと思いましたよ、そしてダウンを奪われました・・・が!大場は目が覚めたようにギアーチェンジをしてアモレスを上回るスピードで逆転KOをしたときにはオシッコをちびりました。亀田コーキ君の試合ってアクビ出ませんか?それなりには頑張っているのだろうけど???。

今の現役王者の内山、山中あたりと比べないと大場に対して失礼になる

吊られてみることにしますか・・・・・ 極貧に育った大場は、中学卒業と同時に帝拳ジムに入門。アメ横の菓子問屋で働きながら17歳でC級ライセンスを取り、無名の4回戦ボーイとしてプロキャリアをスタートしました。 新人王戦にも当然エントリーしましたが、後に日本チャンプとなるスナッピー浅野との予選で引き分け敗者扱いとなり、東の頂点に立つことすらかなわなかった。 身長には恵まれたもののモヤシのように線が細く、4回戦を13戦、6回戦を3戦、8回戦を2戦こなし、プロ19戦目にしてようやく10回戦に出場。しかも記念すべきA級デビュー戦は、後に自分の死後WBAの後継王者となる花形進に判定負け。と言っても、当時の新人選手の中では特別長い下積みとは言えない。 プロ2年目の1967年、大場はなんと11回もリングに上がっている。続く68年も8戦。世界ランク入りを果たし、対戦相手のレベルが一気にアップした69年も5戦。ボクシングが野球・相撲と並ぶ国民的人気スポーツだった当時、民放キー局のレギュラー番組も花盛りで、とにかく興行の数が要求された。 ノンタイトルで日本(スピーディ早瀬)、東洋(中村剛)、世界(バーナベ・ビラカンポ)王者に土を着け、世界ランク1位に昇りつめた後、ビラカンポから王座を奪ったベルクレックに堂々の挑戦。1970年10月22日、日大講堂(旧両国国技館)でタイの王者を13回TKOに破り、天皇と呼ばれた先代会長時代からの悲願だった世界タイトルを、名門帝拳ジムにもたらしました。 王者になった頃の大場は、基本に忠実な正攻法の右ボクサーファイターの域を脱しておらず、パンチもそれほどある方ではなかったのですが、ベツリオ・ゴンサレス(2位)、フェルナンド・カバネラ(1位)、花形(4位:試合が決定した時点では3位/再戦)、オーランド・アモレス(1位)を相手に厳しい防衛を重ねるうちに、体も完全に出来上がって逞しさを増し、”倒すコツ”を得とくしていきます。 *V5のチャチャイも2位 170cm近い長身故に王者になってからは減量苦に悩まされ、バンタム級への転向が既定の路線となっていたのですが、伝説の激闘として今に語り継がれるチャチャイ戦からわずか23日後。納車されて間もない白のシボレーコルベットとともに、首都高で若い命を散らしました。 大場は王座に就いてから、ノンタイトルも4戦行っています。そのうち3名は世界ランカーで、唯一ローカル王者だったロッキー・ガルシア戦は、敵地テキサスへの遠征(唯一の渡米)です。 驚くべきは、V4のアモレス戦からラストファイトファイトとなるチャチャイ戦の間に、WBA5位だったナタリオ・ヒメネスとの10回戦(115.5ポンド契約)を挟んでいること。 アモレス戦の頃には大場の減量は15キロにも及んでいたと、長野ハルマネージャーが後に追懐していますし、世界ランク上位のトップコンテンダーばかりを選び続けたことについて、本田会長は「弱い挑戦者を連れてきて、簡単にKOしてもファンは喜ばない。たとえ苦戦が続いたとしても、誰もが認める強い選手に勝たなくては、真のチャンピオンとは呼べない。万が一負けても、その時はバンタムに上げればいいと思っていた」と答えています。 当時の世界タイトルはWBAとWBCの2つのみ(分裂直後)。ランキングは当然10位までしかなく、階級も全部で11。フェザーから下には、バンタムとフライの2つしかありませんでした。 団体が4つに増えた上、フェザーから下が7階級に細分化されてしまった現在とは、ランキングの充実度は比較になりません。 ◎試合映像 ①ベルクレック戦 : ttp://www.youtube.com/watch?v=xfwLSm03wuk ②ベツリオ・ゴンサレス戦(地元判定との批判を受けた) : ttp://www.youtube.com/watch?v=njkcPRJNmi4 ③花形進戦 : ttp://www.youtube.com/watch?v=wX2Qd-6UBf0 ④チャチャイ戦 : ttp://www.youtube.com/watch?v=2L_oB_fuuq0 ◎大場の事故死に関する映像 ①西田ひかるの痛快人間伝(90年代始め頃)~ : ttp://www.youtube.com/watch?v=G7MErHtqCeQ

亀田と比べないでください。あまりにもレベルが違いすぎで話になりません。亀田の試合はあまりのレベルの低さとリスクを冒さない戦いぶりで見ていていつも眠くなってきます。私は亀田はボクシング界の癌だと思います。 それに比べて大場の試合はいつもピリピリした緊張感にあふれていました。特にアモレス戦、チャチャイ戦での逆転劇は今でも感動が甦る伝説の一戦です。あの時点で減量がかなり厳しかったのでもし事故死しなかったらエンリケビンターとバンタム級の世界を戦っていたかもしれませんのでとても残念でなりません。

なんであの3人と比べるのかわかりませんがボクシングスタイルはまるでちがいますボクサータイプですが闘争本能が旺盛なため結構打ち合います、ですから結構ダウンもしますがそこからまるで目が覚めたように立ち直り打ち勝つというスリリングな試合が多かったです、チャチャイ戦が有名ですが自分はアモレス戦が好きです、あの暴風雨のような左右フックに一度はダウンを奪われますが立ち上がってからフックをかいくぐってジャブ、ストレートを打ち込むというオーソドッグスタイルで逆転KO しました、 頼みますから大場と彼ら3人と比べないでください。 補足皆さん大場選手を熱く語っていて自分もうれしくなります、そこで少し冷静に、、、亀田3兄弟と大場の違いそれはルックスです、人を見た目で判断してはいけないのですがいかにもその筋の仲間のような3兄弟とアイドルも裸足で逃げ出しそうな大場とでは素人ファンが一番わかりやすい違いです。なお自分が見た中で1度だけ大場が安全運転をした試合があります、といっても亀のように閉じこもってたわけでなく華麗なるアウトボクシングでした。当時日本人チャンピオンが次々負けるいわゆる「なだれ現象」が起きました、大場は「自分がそれを止めようとして万が一を考えて無理をしなかった」とコメントしてます。しようとすればできるアウトボクシングですが旺盛な闘争本能がそれを許さなかったのです。