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お盆はもともと旧暦7月15日で、明治6年(1873年)の新暦採用によって新しいカレンダーで新暦7月15日とされたものです。 新暦を採用した政府としては、お盆は新暦7月15日であり、昭和20年の時点では8月15日は何ら特別の日でもありません。 旧暦のお盆にしても、昭和20年の旧暦7月15日は新暦では8月22日にあたります。 8月15日の玉音放送までの流れは、 8月6日・9日の原爆投下、9日のソ連参戦を受け、9日の御前会議で「国体の護持」を条件にポツダム宣言を受諾することを決定し、10日に連合国に通告。 11日にアメリカの回答があり、その解釈をめぐって外務省と軍部強硬派の対立などがあり、これを調整して、最終的に14日の御前会議でポツダム宣言受諾を決定してその日のうちに「終戦の詔書」を発布してこれを天皇自ら朗読して録音し、翌15日にラジオ放送で国民に発表(玉音放送)というものです。 当時としては何ら特別の日でもなかった8月15日にあわせて玉音放送したわけではありませんし、あわせる理由もありません。 新暦採用後はカレンダーどおりなら新暦7月15日がお盆とはいえ、東京などの一部の地域をのぞいて、全国的にはそれまでどおり旧暦7月15日にお盆行事を行なっていました。 旧暦7月15日は、新暦では8月7日〜9月6日頃のあいだで毎年異なり、だいたい処暑(新暦8/23頃)±15日前後となります。 新暦に慣れてくると、お盆の日付が新暦で毎年異なるのは不便ということもあり、新暦での日付を固定しながらもそれまでの処暑(新暦8/23頃)に近い時季になるように、カレンダーどおりの新暦7月15日のお盆から1ヶ月遅れの8月15日を「月遅れ」のお盆とするようになります。 この旧暦盆から月遅れ盆への移行は明治後半〜大正にかけて各地で行なわれましたが、それでも昭和20年の時点では新暦8月15日の月遅れ盆は全国的に一般的といえる状況ではありません。 現在のように全国的に新暦8月15日の月遅れ盆が一般的なお盆とされるようになったのは、昭和30年〜40年頃にかけての新生活運動(生活改善運動)の一環で、各地でいろんな行事の旧暦から新暦(または新暦の月遅れ)への移行(陽暦変換運動)がすすめられてからのことです。 旧暦から新暦(または新暦の月遅れ)への移行は、明治後半〜大正にかけての第1期にしても、昭和30年〜40年頃にかけての第2期にしても、行事の日付を新暦で固定するという「生活の合理化」が大きな理由であり、とくに終戦記念日にあわせてお盆の日をずらしたというわけではありません。 このように、お盆にあわせて終戦したわけでもないですし、終戦にあわせてお盆をずらしたわけでもないです。 月遅れ盆と終戦記念日がどちらも8月15日なのは、ただの偶然に過ぎません。 詳しくはこちらの過去回答にも書いてあります。 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1029439585
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質問者からのお礼コメント
詳しい説明をありがとうございました。
お礼日時:2010/8/17 23:05