1971年、大阪刑務所で印刷の阪大,大阪市大入試問題が密売された事件。
以下、「インターネット日記・奇跡体験アンビリーバボーの番組紹介のページ」のコピーです。
大阪刑務所で服役していたある囚人Aが、その刑務所内の病棟で他の受刑者Bにある計画を持ちかけました。「私はここで金のなる木を見つけましてね・・・」と。
それは当時、大阪刑務所内の印刷の作業所で行っていた某有名大学の医学部の大学入試問題の印刷物を盗み出し、息子を医学部へ入れたがっている医者に流して高額の報酬を得るという企てでした。
大学の入試問題の印刷だけに、厳重な管理が行われており、作業の前後には身体検査が行われ、試験問題を外部に持ち出すのは不可能。つまり一人では実行不可能な計画です。
そこで、Aは印刷の作業に当たっていたBと手を組み試験問題を盗む計画を立てました。
Bは模範囚だったので、印刷作業所内である程度の自由な行動ができました。そこで、印刷ミスで破損した試験問題をゴミとして処分する際に、ソフトボールの中に埋め込んで隠し、運動の時間にキャッチボールをしながらワザと刑務所の塀の外へ投げたのです。
Bは模範囚だったため、用具係も当たり、ボールに細工することができたのです。
塀の外では先に出所していたAがそのボールを回収。こうして大学入試問題の入手にまんまと成功したわけです。これはまさに映画に出てくるような実話ですね・・・。
こうしてAは入試問題を売って巨額の報酬を得ました。しかし、Bは模範囚だったため間もなく
出所。さて、その翌年の入試問題はどうやって手にいれるのか?
実は何と、Bは出所前にCという模範囚を仲間にしていたのです。こうして同様に翌年も試験問題を入手、またも巨額の報酬を彼らは手に入れました。
しかし、その後は新たな仲間を作れず、この計画は頓挫しそうになりました。そこで彼らは何をしたか。
何と、刑務所に侵入して大学入試問題を盗み出したのです。脱獄の反対の”入獄”です。
そして、またも入試問題を売り報酬を得ました。ところがその年に試験問題を買った医者達の子供12人は全員が不合格になります。
それは盗んだ科目が3科目で全5科目だったため2科目足らなかったから・・・。
(あるいは模範回答として作ったものに誤答が多かったからとも考えられています)
こうして彼らの信用は失墜。それ以来この企ては不可能になり、まもなく首謀者Aは他殺体となって発見されたのです。犯人はだれか、何故殺されたかは今も不明だとか。
この事件は当時報道され大きな問題となり、不正合格した者は合格取り消し処分になったりしましたが、一体どれだけの数の不正合格が行われたかは、正確には把握できなかったようで、中にはそのまま医者になった者もいるようだとのことでした。